マイナスあってのプラスということ

 藤本みさえさんのお話を聞いた。昔話や物語は、どこかにちゃんと、「人間がどう生きるか」のようなエッセンスをちりばめられている。おはなしの先がなんとなく分かっていても、それが藤本さんのことばで語られると、色や形がぶわっとリアルに浮かんで迫ってくるのだから不思議だ。  この頃たくさんの方のお話を聴く機会に恵まれている。そういう場所に行くと不思議と時間がゆっくり流れる感じがする。語り手の人の口調は決まって穏やかだ。淡々としてるのに説得力があって、一言で言うなら深い。  物語を語る合間にこんなおはなしをしてくださった。「幸せって たとえばそれまでとても苦労したからその後になって、ああ幸せだなあって改めて思えるんじゃないかしら。今朝も出来合いのサンドイッチを買って食べていたのだけど、家から無農薬のプチトマトを2つ持ってきたのです。それを口にしたらなんて美味しいんだろうって。サンドイッチの中のトマトとは全然違って味が濃いんです。本当においしかった。でももしかしたら今の世の中、お店で作ったものしか食べたことのない子がいるんですよね。取れたてのものをその場で料理して食べさせてあげるということ大事だなあって思います。この歳になって今更って思うんですけど。」  それから「私を束ねないで」という詩集を紹介してくださった時、私はなんだか顔が赤くなるくらい恥ずかしくなった。いらいらやストレスを人に対して感じること自体、自分の感受性を鈍らせているのだということを思い知ったから。  みんな素敵にいきているのだなあと思う。

人間が生きていくということ

 「ロボット化するこどもたち」という本を興味深く読んだ。ロボットを作る過程と教育とのおもしろいほどの重なりが書かれていて、そこに加えて自閉症児の学びに関する研究も書かれていた。  総合学習がなぜ浸透しないのか、ずっと疑問に思ってきた。総合学習をすることがなぜ大切なのかを、周りのたくさんの人に伝えたくてもうまく伝わらなくて結局口を閉じてしまう。だからこの本を読んですっきりした。そして同時に、今の教育に対する危機感を余計強く感じている。  リトミックについて、先日よくわからないという人からこんなことを言われた。「リトミックはいいというけれど、もし自分の子どもをレッスンに行かせるとしたら、何年かすればこんな風になります というものを実際見てみないと納得できない面があるんですよね」そう、だれもが結果を見たいと思うしその結果がこんなに素晴らしいものだという保障があればいくらも何でもやらせたい というのが今の親のだれもが考えることなのだろう。でもこの「ロボット化・・・」の本の中で印象に残っていることは、教えようと躍起になってもダメであること、目標到達までの過程を逐一分析して一つ一つ確実にできるようにしていく学習はこれからの学びではない、ということを言い切っているのである。つまり無駄や回り道、あるいはアクシデントを経験することによって、まるで副産物みたいに教えたいと思っていたことがどんどん身についてしまうということ。つまり教える側に楽なこと~○○法のような教え方~は教えられる側には身についていかないことで、教える側(親も含め)がひたすら待ってその子のこだわりや関心を観察していくことが大きな学びにつながるというわけである。  いいかえればこれまでの教育は教える側にとって楽なことで、子どもの学びの立場に立っていないということだと思う。子どものフリ-な時間を確保して欲しい。常に何かをさせるのではなく、時にいらいらしてもとことん子どもの時計に合わせることをして欲しい。汗びっしょり、泥だらけ、雨にうたれること、そんなちょっと気持ち悪いけど最後には「いいや!」って思ってしまう体験を子どもと一緒にして欲しい。  今の子は授業(レッスン)に集中できない子どもたちである- そうくくるのではなく、ほんの一瞬でも全員が集中できる場面を自分は提供しただろうかをいつも自問できる指導者でありたいと思う。回りと違うことをしている子のわけを観察、分析したら見えてくるたくさんのメッセ-ジがあるはずだから。教育について私たち大人がもっとしっかり考えなければいけない。それは人間がどう生きるか ということにつながる。

おはなしばたけ

 絵本を読むのではない。物語を全部暗記する。そして何度も練習して自分のことばになった時、初めてこどもたちに語ることができる。そういう活動をしている人のお話を聞いた。今回語った方は三水地方の方で、お話もしたがってあえて三水の方言で語って下さった。  私の母は戸隠というところの出である。今は亡き祖母はまさしくこの三水地方の方言を使って話していた。だから今回のお話はなんだか私の耳にとても心地よく届いた。忘れたくない方言だ。かえるをげえろという。まっくろかえして飛んでった は大急ぎで走っていったということである。あなたのことを われ  ともいう。そんなことばのつながりがすっかり忘れていた子どもの頃の祖母の家の記憶を呼び起こした。広い土間。薪のふろ。外にある厠。お蚕さんを飼っていた名残の広い広い部屋。囲炉裏。そこでそばを打つ祖母のしぐさの一つ一つ。テレビやアニメの昔話の中でない確かな私の記憶の中にある風景。できればその場所にもう一度身をおきたいと思った。自分の子どもたちにもそのときのたくさんのにおいを嗅がせてあげたい そんなことを強く思った。  雨がずっと降っていて、気持ちもしっとり落ち着いた。

やわらかい身体

7月1日に行われた子どものためのリトミックは結構感動した。一年生から六年生までいる集団なのに、学年差とか壁のようなものを感じない・・・。おなじみのメンバ-で気心が知れていることもあるけれど、このところ大きな成長をしている気がする。今回は子どものお父さんも参加した。それがまたとてもよかった。できれば多くの人に見て欲しいと思う。次回は九月三日(日)県民文化会館リハ-サル室にて午前9時半より。講師はリト研埼玉支局長 石田保代先生 受講料は1500円 指導者の見学受講は2000円 申し込み先 リトミック研究センタ-長野第一支局 026-231-5410

子どものためのリトミック

7月1日午前9時半から11時まで、県民文化会館リハ-サル室にて小学生リトミックを行います。講師はリト研埼玉支局長の石田保代先生。受講料は一人1500円。(付き添いの保護者は無料。)指導者の見学受講は2000円。どうぞお出かけください。申し込みは長野第一支局026-231-5474FAX026-231-5475

うさぎ

三水というところからレッスンに来ている子が、ウサギを3羽拾ってきたけれど、全部は育てられないからと手のひらに乗るくらいのグレイのウサギを置いていった。え-!どうしよう。動いている。近所に小学生の頃ウサギをずっと飼っていたウサギに詳しいR君がいたので呼んできて色々聞いてみたが、ミルクを飲まそうにもスポイトはないしなんだか寒そうだし・・・。うちの子どもたちはなんだか大喜びで早速買ってきたゲ-ジから一歩も離れない。いったい生後どれくらいなのかも分からない。そもそも三水の小学校で飼っていたウサギが逃げ出し それがあちこちで繁殖したものらしい。なら半分野生のようだし。果たしてこのウサギ君のこれからはどうなるのでしょうか。今もうちの子どもたちはゲ-ジに顔半分突っ込んで黙ってウサギ君を見ている様子。

ちょっと力みすぎかなあ・・

この頃当たり前のはずのことが当たり前でないことに腹を立てて力みすぎていたかもしれない。ちょっと力抜こうと思った。午前家のかたつけにひと段落してぼ-っとしていたら、いいタイミングでご近所の頼もしいお友達のSちゃんが「昼一緒に食べない?」と電話をくれた。誘って貰わなかったら、昼も食べすにただ横になっていただろう。Sちゃんは私より若干年下なのに、なんというか度胸が座っていて、時々私は私のままでいいと背中叩いてくれる。今日もこの頃の色々なこと聞いて貰いながら知らないうちに「あ-ちょっと肩に力はいってたかな?」と思えるようになった。力抜くってことは けして情熱を捨てるということでなく、身体を自然にゆだねるというか、対象に身を任せてみるというか・・・そういうことである。そんな風に思っていたら、午後からのレッスンが思いのほか穏やかだった。はい、深呼吸。

育成会という集団

地域の子どもたちの親(といってもほとんど母たち)が持ち回りで育成会という集団を作る。メンバ-は毎年変わる。町にだれでも使えるパソコンがあるわけでもない。私は今年体育部部長となった。係分担を決める時、「私パソコンなんてできません」「時間がなくて・・」「体育部だけはやりたくない」など口々にするのを聞いていたら、「はいはい私やります。だからもう終わりにしましょう。」  それからというもの自分なりにプリント出しては皆に提案してやってきたつもりだった。しかしこういう集団の中にもクレイマ-といわれるものが存在したのである。親切そうに私ではない体育部員にメ-ルや電話して、決まったことをいちいち覆していく・・。なぜ私のところに言ってこないんだろうと思っているうちについに3度のめクレイム。最初はニコニコしていたわれわれもさすがにおかしいと思い始めた。でもまだ始まって3ヶ月。これからが長いと思うとのどまででかかったことばを発することができない・・。だけどこれでいいはずないなあと思うと、やっぱりいわなくちゃと決めたのもののため息。何でいつもこういう役回りなんだろうなあ。こういう場合出る杭というよりは常識の問題なのでは?とおもってしまうこの頃。う~今日の天気と一緒で全然すっきりしない。

4歳児のレッスンから

K保育園年少さんのリトミックの時「お池にいるものなあに?」と聞いたらなんと「たこ」「まぐろ」・・なんということだと思い4歳児のレッスンで同じことを聞いてみた。「あめんぼ。このまえ見たよ」「かえる」「おたまじゃくし」あ~よかった。そこで「じゃあこんな声聞いたことある?」とカッコウ笛を取り出し吹いてみた。 「とり?」「じゃあにわとり」うそでしょ!私の家の庭にも鳴きにきますよ。「山に行けばこんな鳥の声ががたくさん聞こえるよ。」と5円玉2つ重ねて吹いてあげた。「お山いったことない。これからいこうよ」・・・・・・周りの畑やたんぼが埋め立てられ、宅地になり、24時間営業の店ができ、探検した川はコンクリ-トで固められ、蛍が飛んでいた葦の茂みも治水という理由で壊されてしまった。でも10分も車を走らせれば濃い緑の中に行く事ができる。季節によって違う緑の色や、空気の感じ、におい、そういうことをどうやったら子どもたちに伝えられるだろう。今日は午後から雨。かっぱをきてでも外遊びをする子を育てたい。

園児たち

いきなり「だれ?」とくる。目がくりくりしていて好奇心丸出し。いいなあ。K保育園で年少児とリトミックをした。私のリトミックはどうも押しが強いらしい。(らしいというのが一番問題。自分ではすごく気をつけているつもりのことが伝わらない・・・)ゆっくりやること、静かな部分を大切すること、自分なりにすごく気をつけたつもり。私自身はとても楽しかった。これまではそれが一番大切と思ってた。だけどやっぱり違うのかも・・とも思う。こどもがただ好きなだけじゃダメということに似ているのかもしれない。でも握りしめたちいさな手、プチプチのほっぺ、内緒話するしぐさ・・・どれも極上の幸せです。「明日も来る?」「またきてね」「ばいばい」・・・そんな声に見送られてまた頬が緩んだ。私自身丸出しのリトミックに今日も反省ばかり・・・。