刺激的な週末

 安曇野で「初心の会」が行われた。時々おじゃましている川田先生のお知り合いの方々が老若男女、立場を超えて二十数名集まっての会である。もともとは公立の学校の先生方の哲学を学ぶ会である。そこに今回は一緒に学びたいという母親(私も含め)5人も参加した。東京方面から、日本聾話学校の先生方6名と私立のカリタス小学校の先生がた2名もいらっしゃった。そして何より驚いたのはかつて附属長野小の校長先生をされた先生方で今なお子どもたちの将来を案じ、熱く教育を語りながら哲学を学んでおられる大先輩が3名(85歳の方も!)も加わっての会である。全員が読み合わせたのは、信州教育に深く携わった木村素衞先生の著書から「表現愛と教育愛」である。
 ところがこの日の夜長野びんずるが行われた。長女のクラス全員が参加するこのお祭りで役員をやることになっていた私は、これを休む訳にはいかない。まず安曇野の初心の会の始まりだけ出て、4時過ぎには長野に向かった。このびんずるの様子に関してはここにかききれないので、また後ほどにしたい。
 午後9時半過ぎにびんずる祭りを終えた私は、何リットルのも汗のしみこんだTシャツを着たまま高速を飛ばし、11時15分には安曇野で風呂に入っていた。
 集った方々の話は尽きないらしく、深夜までどこかの一室で歓談が続いたようである。私はというと、同室のお母さん方3名と延々おしゃべりに花が咲いた。身体はすっかり疲れて眠いはずなのに・・・。
 次の日は先生方の実践レポ-トを聴いた。実際のところこの会に参加したお母さん方は何を感じたのだろう、と思う。子どもたちとの授業の様子を様々な場面を例にとって報告し考える研究会。もしかしたらこういう場に自分の子どもも話題となったり取り上げられたりしたのだろうかとか、先生は私の子どものどんな点をどう捉えたのだろうか など。でも実際のところそんな個人的なことより、はじめて参加した先生方とのこの会で、先生方の熱意に深く感動したお母さん方がほとんどであったと思う。では、私はいったいどんな立場でその場にいたのだろうと、今更ながら思う。
 正直なところ、長野に帰らなければいけなかった分、やはり不完全燃焼であった気がする。今の学校に対する危機感をもっともっと話し合いたかった気がする。大先輩の先生方にもっときりこんでいただきたかった気もする。そして何より私の子どもに向かう姿をたくさんの人から指導いただきたかった。自分の中のどんなところが強引でひとりよがりなのか ということについて・・。人間としての未熟さは、口では色々いえてもなかなか自覚できないものである。
 子どもたちの前に立つ人間に区別はないと思う。それが先生であろうと親であろうと社会の様々なポジションの人であろうと。これからの子どもたちの将来を真剣に考えるためにも、たくさんの違った立場の人が集う場は、この先きっと必要である。でもそういう場を持とうとしても、なかなか定着できないのが現実。だからこそこういう場を創ってくださった川田先生の熱い想いに感動するのである。
 私の中では、親の本音を先生にぶつけるような、次回を期待したいのだが、果たしてこの会の行く先がどうなるかは今のところ分からない。参加者がどんな思いを持ち帰ったのだろう。家に帰って、木村素衞の日記を少し読み、ゲ-テを3冊買った。