ちょっと力みすぎかなあ・・

この頃当たり前のはずのことが当たり前でないことに腹を立てて力みすぎていたかもしれない。ちょっと力抜こうと思った。午前家のかたつけにひと段落してぼ-っとしていたら、いいタイミングでご近所の頼もしいお友達のSちゃんが「昼一緒に食べない?」と電話をくれた。誘って貰わなかったら、昼も食べすにただ横になっていただろう。Sちゃんは私より若干年下なのに、なんというか度胸が座っていて、時々私は私のままでいいと背中叩いてくれる。今日もこの頃の色々なこと聞いて貰いながら知らないうちに「あ-ちょっと肩に力はいってたかな?」と思えるようになった。力抜くってことは けして情熱を捨てるということでなく、身体を自然にゆだねるというか、対象に身を任せてみるというか・・・そういうことである。そんな風に思っていたら、午後からのレッスンが思いのほか穏やかだった。はい、深呼吸。

育成会という集団

地域の子どもたちの親(といってもほとんど母たち)が持ち回りで育成会という集団を作る。メンバ-は毎年変わる。町にだれでも使えるパソコンがあるわけでもない。私は今年体育部部長となった。係分担を決める時、「私パソコンなんてできません」「時間がなくて・・」「体育部だけはやりたくない」など口々にするのを聞いていたら、「はいはい私やります。だからもう終わりにしましょう。」  それからというもの自分なりにプリント出しては皆に提案してやってきたつもりだった。しかしこういう集団の中にもクレイマ-といわれるものが存在したのである。親切そうに私ではない体育部員にメ-ルや電話して、決まったことをいちいち覆していく・・。なぜ私のところに言ってこないんだろうと思っているうちについに3度のめクレイム。最初はニコニコしていたわれわれもさすがにおかしいと思い始めた。でもまだ始まって3ヶ月。これからが長いと思うとのどまででかかったことばを発することができない・・。だけどこれでいいはずないなあと思うと、やっぱりいわなくちゃと決めたのもののため息。何でいつもこういう役回りなんだろうなあ。こういう場合出る杭というよりは常識の問題なのでは?とおもってしまうこの頃。う~今日の天気と一緒で全然すっきりしない。

4歳児のレッスンから

K保育園年少さんのリトミックの時「お池にいるものなあに?」と聞いたらなんと「たこ」「まぐろ」・・なんということだと思い4歳児のレッスンで同じことを聞いてみた。「あめんぼ。このまえ見たよ」「かえる」「おたまじゃくし」あ~よかった。そこで「じゃあこんな声聞いたことある?」とカッコウ笛を取り出し吹いてみた。 「とり?」「じゃあにわとり」うそでしょ!私の家の庭にも鳴きにきますよ。「山に行けばこんな鳥の声ががたくさん聞こえるよ。」と5円玉2つ重ねて吹いてあげた。「お山いったことない。これからいこうよ」・・・・・・周りの畑やたんぼが埋め立てられ、宅地になり、24時間営業の店ができ、探検した川はコンクリ-トで固められ、蛍が飛んでいた葦の茂みも治水という理由で壊されてしまった。でも10分も車を走らせれば濃い緑の中に行く事ができる。季節によって違う緑の色や、空気の感じ、におい、そういうことをどうやったら子どもたちに伝えられるだろう。今日は午後から雨。かっぱをきてでも外遊びをする子を育てたい。

園児たち

いきなり「だれ?」とくる。目がくりくりしていて好奇心丸出し。いいなあ。K保育園で年少児とリトミックをした。私のリトミックはどうも押しが強いらしい。(らしいというのが一番問題。自分ではすごく気をつけているつもりのことが伝わらない・・・)ゆっくりやること、静かな部分を大切すること、自分なりにすごく気をつけたつもり。私自身はとても楽しかった。これまではそれが一番大切と思ってた。だけどやっぱり違うのかも・・とも思う。こどもがただ好きなだけじゃダメということに似ているのかもしれない。でも握りしめたちいさな手、プチプチのほっぺ、内緒話するしぐさ・・・どれも極上の幸せです。「明日も来る?」「またきてね」「ばいばい」・・・そんな声に見送られてまた頬が緩んだ。私自身丸出しのリトミックに今日も反省ばかり・・・。

出る杭

 出る杭は打たれるとか出る杭も出すぎれば打たれないとか、そんな話を色々な人とした。いつも思うことは矢面にたつ人はいつもそういう役回りであるということ。この頃の私ときたら、一気に3つ以上のことが重なりそれぞれのなかでトラブルが続出した。自分の能力不足は分かっていていることなのだが、言わないでいればそれまでのことを、ほったらかしにできなかった。でもその結果は治らない口内炎とざらついたなんともいえない後味だった。でも今日ひとつうれしいことがあって元気になれた。ウチの長女、市の中学体育大会で無名から這い上がりなんと団体で2位!娘の担任であり部活顧問のS先生が1年生の家庭訪問で「3年の大会ではきっと結果出しますから」そうおっしゃったこと、まさに有言実行と頭が下がった。言ったことには責任を持つ大人でなければ・・・そうおもったらますます自分が情けなくなった。でも娘たちのチ-ムの底力に心から感動。そしてたくさんの感謝です。

五月もいつのまにか半ば・・

アクシデントの公演のDVD編集をお願いしていたオフィスkpdから、完成DVDを受け取った。最後は思わず涙が零れ落ちた。舞台にかかわった多くの人は 当日の公演を客観的に見ることができずにいた。こうして当日の公演からそれまでのドキュメントを改めて見てみると自分がそのなかにいたことすら忘れてしまいそうである。何か別のいわゆる「作品」としてド-ンと存在を示すというか・・・。それにしてもあの7人の子どもたちと担任の田中先生のとんでもない生命力というか、生き様はいったいなんだったんだろう。今、それぞれ別の道を歩きながら、どんなことを思っているのだろう。このDVDを見て、また何を思うだろう。子どもたちの表情を見ていたら、とにかく頑張れそうな気がした。みんな本当に素敵です。大変な編集をしていただいたオフィスkpdに感謝です。

パントマイム公演「アクシデント」を終えて

 嵐のような日々が終わりました。舞台に関してまったく素人の私が、自分の能力以上のことをやれてしまえたのは、7人の子どもたちの笑顔とパワ-があったからです。その7人を3年間育んだ担任の田中先生の子どもたちに向かう情熱、そして小野寺さんももちゃんのすごさ、加えて利害でなくつながった人との結びつき・・そんなこと全部に心から感謝します。  子どもたちはどこまでも伸びていく力を持っています。子どもたちのまっすぐさに、周りの大人たちもウソがつけなくなる。まっすぐ向かい合うから信頼が生まれる。信頼関係で結ばれているから、一日7時間に及ぶ練習が集中力が切れることなく続いていける。もっといいものが生まれるという確信がもてるようになる。だから公演はゴ-ルでも結果でもない。あくまで課程なのである・・。こんなことを実感できた日々でもありました。  当日は野沢温泉村の村長始めたくさんの人で会場がいっぱいになりました。7人の子どもたちはまったく臆することなく素晴らしい舞台を創りあげたのです。東京から足を運んでくださり2時間で仕込んでくださった照明の阿部さんのしごとぶり、前日から手際よく衣装合わせをやってくださったバレエ団でお仕事していた衣装の斉藤さん、演劇関連の記事を書くライタ-の小川さん、編集の大沢さん、本当なら考えられない人たちが大きな支えになってくれました。  子どもたちの父と母も全面協力体制で加わってくれました。子どもの伸びる芽をたくさん摘み取ってしまういまの大人たちの社会の中でこの公演が出来た意味は大きいと思います。学校にたくさんのことを問いかけたいです。このステ-ジを創った7人は少しも特別な子ではありません。なのに生きていくための核を彼等はちゃんと学びました。そこにはうそをつかないおとなたちが彼等に愛情を持っていただけです。

真剣勝負

市川小4年生7人とパントマイマ-小野寺修二さん 藤田桃子さんによる長野公演が決まりました。 3月21日 サンアップルホ-ル 午後1時半開場 2時開演です。公演タイトルは「アクシデント」。 これに関するたくさんの書いておきたいことが 今山積みになって私の目の前にあります。 この公演は ある意味私自身 日常のあいまいさに面と向かうことでもあります。小野寺さん藤田さんというプロのすごさを今改めてかみしめています。たくさんの人に見に来て欲しいです。小学4年生と大人が真剣勝負でパントマイムをつくります。スタッフの一人として 身の引き締まる思いと 期待でいっぱいです。

おつきゆきえさん

絵本を朗読することを生業としている おつきゆきえ さん。先日お話と 何冊かの絵本を読んでいただく会に出席しました。このときのテ-マが「幸せって」でした。多くを語ってしまうと つまらないので さわりだけ。紹介された絵本が「もけらもけら」「おじいちゃんがおばけになったわけ」「女トロルと8人のこどもたち」「おんぶはこりごり」「つえつきばあさん」でした。中には絶版になってしまっているのもありますが、こどもに読み聞かすというより、大人がしみじみ読みたいと思いました。おつきさんに言わせると よくこの本は何歳ぐらいから という文字が絵本の裏に印刷されているけれど あれはまったく根拠がないということ。だから自分が手にとった本を等身大の自分が感じるままに読めばいいそうです。 私もこの頃絵本コ-ナ-に立ち寄ることが多いです。でもやはり都会の本屋に比べると長野の本屋はジャンルも乏しいし、手にとってじっくり というものは少ないです。(松本の小さいおうちは別格ですけど) だから東京に行く時は必ず紀伊国屋とかジュンク堂とかに立ち寄ってしまいます。 おつきさんの話に戻りますが おつきさんの人間としての魅力がなんといっても一番です。何度でも参加したいと思っています。ウチのこどもたちは14歳 11歳になっていますが、特に下の子はいまだ絵本が大好き。機会があれば おつきさんの朗読に出会って欲しいと思っています。  今回出てきた絵本 どう感じるかは ひとりひとり違うでしょうが、その反応によっては その人の人となりがある程度見えてしまう部分もあるようです。

2006年 始動

元旦いい天気だと思っていたら今日はまた大雪。朝から屋根の雪下ろしをした。そのせいで今握力がほとんどない状態。両腕筋肉痛。コレはきっと日をおうごとにひどくなりそうだ。でももう一度今日のうちにひさしの雪下ろしをやっておかないとタキロンを支える鉄骨がポキっといってしまうかもしれない。   さて暮れから頭の中では色々考えがめぐっていたのだが なかなか文章に出来ずにいた。でも新しい年になってもう3日 いつまでも頭の中だけというわけには行かないのでまた少しずつ書くことにした。 昨年小学校のリトミックをやってみての先生や児童の感想を見た。おもしろかった。中でも6年生の男児「今まで人の前で作文とか読むのが嫌だったんだけど、リトミックをやるようになってからそうでもなくなった。」これをよんでやった!と思った。そんな風にリトミックを考えてくれることがうれしかった。反面男性教師「リトミックが体育なのか音楽なのか分からず面食らった。学校裁量としてやるなら 年間計画の中できちんといれてやってほしい。発表会を持つなら始めからそういって欲しかった」多分これが多くの公立の先生方の考えなのだろう。この学校でのりトミックの継続はないだろうな・・。  こどもたちの感想はほとんどが明るい。リトミックの発表会を持ったことに関しても どうしようもなく嫌だったと答えた子は一人もいなかった。なのに先生方は「こどもたちにとって発表会は負担だったように思う」そうとらえる。不思議だと思いませんか?負担に感じているのはア・ナ・タでしょう?不思議というか当然の結果として 担任がリトミックを通して変わった(柔軟な発想でリトミックを楽しんだ)クラスのこどもたちほど すばらしい発表をしてくれた。  板野和彦先生が教職の通信教育で有名な明星大学で講座を持っている。それは総合演習という科目で、いってみれば教科をはなれ 教師としての人間性や資質を高めるためのひとつとしてリトミックをやってくださっている。そういう講座を持つ明星大学の教職課程はすばらしいと思う。しかし現実として公立学校では先生方はなかなか身体をひらこうとしてくださらない。大きな課題である。