ももちゃんの公演から

 今年二月で一時活動を休止している劇団「水と油」のももちゃんの活動休止からの生き方に圧倒されている。子どもたちと創った三月の公演「アクシデント」から半年 芸術家として、人間として、私はももちゃんに憧れを抱いている。  9月9日 代官山の温室だったところでやった毎回20名限定公演では水を張った中での演出だった。今回はア-ティストとのコラボでもあったが、ももちゃんのこれまで半年は、あらゆる可能性に挑戦している感じで、とかく今はこんなところかな のような生き方をしている私にいつもガツンガツンとパンチを与えて貰っている。  仲間を限定して生きるほうが楽に決まっている。しかし、分野が違い、向いている方向が違うと思う人とおもわぬところで接点を見つけたときの爽快感はまた格別であると思う。だから不可能の文字はないかのごとく創作活動をしているももちゃんのこれからに期待しつつ、自分自身にもまたハ-ドルをあげていこうと思う。  しばらくフランスに修行に出かけるももちゃん。どうぞ身体全開でいろんなものを吸収してきてください。私もまたオルセ-やル-ブル ダリの美術館での感動味わいたいです。はあ 行きたいなあ。

リトミック研究センタ-東京支局15周年

 9月2日3日と代々木のオリンピック記念青少年センタ-で東京支局の15周年のイベントが行われ多彩な講師陣による講座が行われた。両日参加したかったがあいにく3日は長野の月例会と重なり土曜のみの参加となった。  打楽器の杉山先生、バロック期のダンスの澤口先生どちらも 子どもたちとの公開レッスンつきである。リトミックを指導する先生方皆さんに共通するのは、絶えず新しい分野への挑戦をしていらっしゃること。演奏家としてだけでも多彩な打楽器の杉山先生はアフリカンダンスで学んでいらしたことを講座の中で取り入れられていた。モチ-フがモチ-フだけに一瞬のためらいが受講生にみられたが、なんのその!ご自身のパンチのきいた動きに思わずつられてしまう。澤口先生にいたってはピアニストでも十分すばらしいのに中世の歴史からすべてを学ばれ そのなかで生まれたダンスというものを丁寧に教えてくださった。  今の時代 結論ばかりの羅列で、どうしてそうなったか、なぜそうなのかをどこかにおいてきてしまう教育ばかり。でもリトミックに携わることで、そういった一番大事なことを自分も学び続けられる そうしたいと思える それがうれしい。  小学校の荒廃のニュ-スが取りざたされてきた。そろそろ点数結果主義、受験産業におどらされてきたたくさんの大人たちが 大切なことに気づいてもいいと思うのだが、実際のところ何も変わっていない。

オラトリオ「エリア」

 入手困難とあきらめていたサイトウキネンフェス。今年は病気で休んでいた小沢征爾復活でますます無理だと思っていた。ウチにレッスンに来る生徒さんの母から突然の電話でチケット2枚あるのですが、とのこと。即答で「買います!」  会場の松本市民芸術劇場も初めてである。駐車場に苦労すると聞いていたので、15時からの公演のところ、12時半過ぎには会場に到着していた。  今回の公演はオラトリオということだったので、舞台演出に関しては何の予備知識も持っていなかった。小沢氏がオ-ケストラピットに姿を現すと、会場からはひときわ大きな拍手が沸いた。  私はこのメンデルスゾ-ンのオラトリオに関してはまったく予備知識はなかった。しかしほんの短い間パンフレットの解説を読み、実際の演奏が始まって、両脇のテロップに歌詞の訳が流されていくのを見ていたら、この楽曲の持つ意味、奥深さ、現代に通ずる内容に、どんどん引き込まれていった。しかもシンプルながらかなり芸術性の高い背景をはじめとする舞台に、オペラそのものを髣髴させた。  自分を信心深いとか宗教的と思ったことはあまりない。しかし、途中の教会でのオルガン伴奏を思い起こさせる4重唱、ラストのア-メンの合唱の余韻で、知らないうちに頬を涙がつたっていた。  歴史は繰り返す。色々な意味でそう思う。民衆はいとも簡単に強いものに煽動され真実が見えなくなるときがある。自分の立っているところをもう一度見直したいと思った。見極めるのは自分自身である。

中学生の底力

 八月始めに行われた長野びんずる祭り。長女のクラスはクラス全員で参加することを決めてから、自分たちで少しずつ分担しながら準備していった。未成年者の夜の祭り参加ということで、親も係を決めてお手伝いすることが毎年の恒例となっている。  私はこどもたちから頼まれたことと、子どもの計画の中で付け足すことがあればチョコッと口を挟むくらいで、後は子どもたちに任せておいた。  当日の祭りが19:00から始まり、15分踊って5分やすみそのあと、35分踊って10分休みを3セット。踊りだけを単純に足したら2時間ほぼ踊り通す祭りである。最初の15分は楽勝。その後の踊りからやけにテンションが上がり始めた。これまで予定されていなかったジャンプが踊りに加わり声も張り上げっぱなし。クラス全体がまるで巨大な塊のように動きだしたのである。周りのクラスは疲れたからと歩いたり、おしゃべりに花が咲いているのに、この子たちは何?なんではじける笑顔で踊りつづけるの?あきれているうちに、一緒に参加している親たちもまたヒ-トアップ。最後のカウントダウンの後の「ヤッタ-!」の声 声 声。この感動 うまく伝えられず残念・・・。 中学生たちが間違いなく自分等の力で成し得た祭りだと思う。  しかも、次の朝5時半集合の朝掃除も、電車の始発が動いていないにもかかわらず、20人ほどが集まったとか。私は都合でいかれなかったのだが、何に対しても一生懸命マジメに取り組んでる姿に、実は結構感動したのである。  とかく親は「こうしなさい」「それはだめ」「言うとおりにしてればいいの」のようなことばで中学生をがんじがらめにしている。でも彼等はちゃんと意思を持って判断をしながらちょっとは寄り道して、でも自分らしく歩いている。大人はもっと中学生と対等に対するべきだと私は思う。  中3の彼等がやけにカッコよかった。自分の体力不足にはがっかりしたが、気持ちのよい風がふきぬけたような気分になれた。親の係をやることができて本当によかった。

刺激的な週末

 安曇野で「初心の会」が行われた。時々おじゃましている川田先生のお知り合いの方々が老若男女、立場を超えて二十数名集まっての会である。もともとは公立の学校の先生方の哲学を学ぶ会である。そこに今回は一緒に学びたいという母親(私も含め)5人も参加した。東京方面から、日本聾話学校の先生方6名と私立のカリタス小学校の先生がた2名もいらっしゃった。そして何より驚いたのはかつて附属長野小の校長先生をされた先生方で今なお子どもたちの将来を案じ、熱く教育を語りながら哲学を学んでおられる大先輩が3名(85歳の方も!)も加わっての会である。全員が読み合わせたのは、信州教育に深く携わった木村素衞先生の著書から「表現愛と教育愛」である。  ところがこの日の夜長野びんずるが行われた。長女のクラス全員が参加するこのお祭りで役員をやることになっていた私は、これを休む訳にはいかない。まず安曇野の初心の会の始まりだけ出て、4時過ぎには長野に向かった。このびんずるの様子に関してはここにかききれないので、また後ほどにしたい。  午後9時半過ぎにびんずる祭りを終えた私は、何リットルのも汗のしみこんだTシャツを着たまま高速を飛ばし、11時15分には安曇野で風呂に入っていた。  集った方々の話は尽きないらしく、深夜までどこかの一室で歓談が続いたようである。私はというと、同室のお母さん方3名と延々おしゃべりに花が咲いた。身体はすっかり疲れて眠いはずなのに・・・。  次の日は先生方の実践レポ-トを聴いた。実際のところこの会に参加したお母さん方は何を感じたのだろう、と思う。子どもたちとの授業の様子を様々な場面を例にとって報告し考える研究会。もしかしたらこういう場に自分の子どもも話題となったり取り上げられたりしたのだろうかとか、先生は私の子どものどんな点をどう捉えたのだろうか など。でも実際のところそんな個人的なことより、はじめて参加した先生方とのこの会で、先生方の熱意に深く感動したお母さん方がほとんどであったと思う。では、私はいったいどんな立場でその場にいたのだろうと、今更ながら思う。  正直なところ、長野に帰らなければいけなかった分、やはり不完全燃焼であった気がする。今の学校に対する危機感をもっともっと話し合いたかった気がする。大先輩の先生方にもっときりこんでいただきたかった気もする。そして何より私の子どもに向かう姿をたくさんの人から指導いただきたかった。自分の中のどんなところが強引でひとりよがりなのか ということについて・・。人間としての未熟さは、口では色々いえてもなかなか自覚できないものである。  子どもたちの前に立つ人間に区別はないと思う。それが先生であろうと親であろうと社会の様々なポジションの人であろうと。これからの子どもたちの将来を真剣に考えるためにも、たくさんの違った立場の人が集う場は、この先きっと必要である。でもそういう場を持とうとしても、なかなか定着できないのが現実。だからこそこういう場を創ってくださった川田先生の熱い想いに感動するのである。  私の中では、親の本音を先生にぶつけるような、次回を期待したいのだが、果たしてこの会の行く先がどうなるかは今のところ分からない。参加者がどんな思いを持ち帰ったのだろう。家に帰って、木村素衞の日記を少し読み、ゲ-テを3冊買った。

八月

 梅雨が明けたのは良いが、朝の風はまるでお盆あけのような涼しさだった。夏本番というよりもう夏の終わりの気配がする。  受験生の長女は夏期講習に通っている。ずっとアウトドアで動き回っていたのに、さすがに勉強しなくては・・・という気持ちになったらしい。真っ黒だった顔や手足がずいぶん色が抜けた。でもなれないことなので、いすにこんな長い時間座ってたらどうかなるよと 腰をさすっていた。変わってどちらかというと対照的に白かった次女が姉と同じソフトテニス部の部活と自主練でずいぶん顔が日に焼けた。友だちと約束して自転車で市営のテニスコ-トに通うまでになった。(ひとりで外出するなんて考えられなかったのに)  受験生の親のほうがまいってしまうよ という噂を聞いたが、おかげさまで私は私のことを精一杯やらせてもらっている。(ただ夏休みというのに毎日のお弁当作りには少々閉口するが)  茨木のり子の詩集を何度も読んでみる。「はあ。」とため息。シュタイナ-の大村祐子さんの文章も読んでは思い当たることばかりで・・・。暑くても元気にレッスンに通ってくる子どもたちと自分のため息のギャップにあせり、また本を手にするこの頃。

マイナスあってのプラスということ

 藤本みさえさんのお話を聞いた。昔話や物語は、どこかにちゃんと、「人間がどう生きるか」のようなエッセンスをちりばめられている。おはなしの先がなんとなく分かっていても、それが藤本さんのことばで語られると、色や形がぶわっとリアルに浮かんで迫ってくるのだから不思議だ。  この頃たくさんの方のお話を聴く機会に恵まれている。そういう場所に行くと不思議と時間がゆっくり流れる感じがする。語り手の人の口調は決まって穏やかだ。淡々としてるのに説得力があって、一言で言うなら深い。  物語を語る合間にこんなおはなしをしてくださった。「幸せって たとえばそれまでとても苦労したからその後になって、ああ幸せだなあって改めて思えるんじゃないかしら。今朝も出来合いのサンドイッチを買って食べていたのだけど、家から無農薬のプチトマトを2つ持ってきたのです。それを口にしたらなんて美味しいんだろうって。サンドイッチの中のトマトとは全然違って味が濃いんです。本当においしかった。でももしかしたら今の世の中、お店で作ったものしか食べたことのない子がいるんですよね。取れたてのものをその場で料理して食べさせてあげるということ大事だなあって思います。この歳になって今更って思うんですけど。」  それから「私を束ねないで」という詩集を紹介してくださった時、私はなんだか顔が赤くなるくらい恥ずかしくなった。いらいらやストレスを人に対して感じること自体、自分の感受性を鈍らせているのだということを思い知ったから。  みんな素敵にいきているのだなあと思う。

人間が生きていくということ

 「ロボット化するこどもたち」という本を興味深く読んだ。ロボットを作る過程と教育とのおもしろいほどの重なりが書かれていて、そこに加えて自閉症児の学びに関する研究も書かれていた。  総合学習がなぜ浸透しないのか、ずっと疑問に思ってきた。総合学習をすることがなぜ大切なのかを、周りのたくさんの人に伝えたくてもうまく伝わらなくて結局口を閉じてしまう。だからこの本を読んですっきりした。そして同時に、今の教育に対する危機感を余計強く感じている。  リトミックについて、先日よくわからないという人からこんなことを言われた。「リトミックはいいというけれど、もし自分の子どもをレッスンに行かせるとしたら、何年かすればこんな風になります というものを実際見てみないと納得できない面があるんですよね」そう、だれもが結果を見たいと思うしその結果がこんなに素晴らしいものだという保障があればいくらも何でもやらせたい というのが今の親のだれもが考えることなのだろう。でもこの「ロボット化・・・」の本の中で印象に残っていることは、教えようと躍起になってもダメであること、目標到達までの過程を逐一分析して一つ一つ確実にできるようにしていく学習はこれからの学びではない、ということを言い切っているのである。つまり無駄や回り道、あるいはアクシデントを経験することによって、まるで副産物みたいに教えたいと思っていたことがどんどん身についてしまうということ。つまり教える側に楽なこと~○○法のような教え方~は教えられる側には身についていかないことで、教える側(親も含め)がひたすら待ってその子のこだわりや関心を観察していくことが大きな学びにつながるというわけである。  いいかえればこれまでの教育は教える側にとって楽なことで、子どもの学びの立場に立っていないということだと思う。子どものフリ-な時間を確保して欲しい。常に何かをさせるのではなく、時にいらいらしてもとことん子どもの時計に合わせることをして欲しい。汗びっしょり、泥だらけ、雨にうたれること、そんなちょっと気持ち悪いけど最後には「いいや!」って思ってしまう体験を子どもと一緒にして欲しい。  今の子は授業(レッスン)に集中できない子どもたちである- そうくくるのではなく、ほんの一瞬でも全員が集中できる場面を自分は提供しただろうかをいつも自問できる指導者でありたいと思う。回りと違うことをしている子のわけを観察、分析したら見えてくるたくさんのメッセ-ジがあるはずだから。教育について私たち大人がもっとしっかり考えなければいけない。それは人間がどう生きるか ということにつながる。

おはなしばたけ

 絵本を読むのではない。物語を全部暗記する。そして何度も練習して自分のことばになった時、初めてこどもたちに語ることができる。そういう活動をしている人のお話を聞いた。今回語った方は三水地方の方で、お話もしたがってあえて三水の方言で語って下さった。  私の母は戸隠というところの出である。今は亡き祖母はまさしくこの三水地方の方言を使って話していた。だから今回のお話はなんだか私の耳にとても心地よく届いた。忘れたくない方言だ。かえるをげえろという。まっくろかえして飛んでった は大急ぎで走っていったということである。あなたのことを われ  ともいう。そんなことばのつながりがすっかり忘れていた子どもの頃の祖母の家の記憶を呼び起こした。広い土間。薪のふろ。外にある厠。お蚕さんを飼っていた名残の広い広い部屋。囲炉裏。そこでそばを打つ祖母のしぐさの一つ一つ。テレビやアニメの昔話の中でない確かな私の記憶の中にある風景。できればその場所にもう一度身をおきたいと思った。自分の子どもたちにもそのときのたくさんのにおいを嗅がせてあげたい そんなことを強く思った。  雨がずっと降っていて、気持ちもしっとり落ち着いた。

うさぎ

三水というところからレッスンに来ている子が、ウサギを3羽拾ってきたけれど、全部は育てられないからと手のひらに乗るくらいのグレイのウサギを置いていった。え-!どうしよう。動いている。近所に小学生の頃ウサギをずっと飼っていたウサギに詳しいR君がいたので呼んできて色々聞いてみたが、ミルクを飲まそうにもスポイトはないしなんだか寒そうだし・・・。うちの子どもたちはなんだか大喜びで早速買ってきたゲ-ジから一歩も離れない。いったい生後どれくらいなのかも分からない。そもそも三水の小学校で飼っていたウサギが逃げ出し それがあちこちで繁殖したものらしい。なら半分野生のようだし。果たしてこのウサギ君のこれからはどうなるのでしょうか。今もうちの子どもたちはゲ-ジに顔半分突っ込んで黙ってウサギ君を見ている様子。