リトミックフェスティバル in ながの

 3月31日 初めての試みとして行ったリトミックフェスティバル。どれくらいの親子が集まるのか、まったくのてさぐり状態だったけれど、無事終えることができました。延べ人数ははっきり分かりませんが、1・2歳児の体験希望者は特に多く、そのときの子どもたちの生き生きとした表情が忘れられません。  自分の分担のところには反省点ばかり残りましたが、子どもたちは本当に精一杯やっていて、こちらが感動するくらいでした。結局思うところは、毎日のレッスンをきちんと積み重ねていれば、子どもたちはのびのび表現できるということ。だから、智恵子ちゃんの発表はどれもすばらしかったです。改めて彼女のリトミック指導者としての力を感じました。たくさんお手伝いをしてくださった先生方、お父さんお母さんがた、会場に来てくださった皆さん、そして最後のドラムサ-クルで締めをしてくださった塩津先生、心から感謝申し上げます。  本当のところ支局長がこの話を決めたとき、どちらかといえば後ろ向きな感じで、しぶしぶ「はい・・・」と答えた私でした。そして前日までため息の連続でした。だけど集まった子どもたちのあんなにかわいらしい生き生きとした様子を見ると、やっぱりやってよかった と思います。4月からの自分の持つリトミックのレッスンをもう一度しっかり考え直して、一人でも多くの子どもたちと出会っていきたいです。智恵子ちゃんのような指導を目指したいです。  篠原先生もすごいなあ と思います。「やりたい」と思う気持ちが一番だと。そこからは経験をつむだけなのだから。これから定期で行われる予定の認定教室で指導している先生方による講師会も、きっと話題いっぱいになることでしょう。いろいろなきっかけや刺激となった一日でした。  最後にテレビ信州(TSB)でリトミックを紹介してくだる機会がもてたことと、その数分をとてもうまくまとめてくださったスタッフの皆様にも心から感謝します。

長女高校合格の日

 長野県はなぜ試験日から発表まで2週間近くもかかるのでしょう。本当に長い長い「待ち」の日々でした。無事に受験番号を見るまでは、なんとも落ちつかず、仕事もはかどりませんでした。とにかくほっと一安心。  一緒に受験したクラスメイトと発表後昼過ぎまで我が家で話しこみ、ほかの高校のようすの情報収集等の話で盛り上がりっぱなし。結局我が家はすでにたまり場状態。今後が思いやられます。  ひと段落したらすでに午後3時を過ぎており、そこでやっと私も仕事モ-ドに入りました。娘に振り回されないでわが道をきたはずの私もがんじがらめになった一日でした。

中学の送別音楽会

 明後日卒業式のこの時期、恒例の娘たちの中学の音楽会が行われた。各クラスの合唱と有志の演奏からなる。今年は創立60周年記念としてそこにショパンコンク-ル4位の同窓生 山本貴志さんの演奏が加わった。  長女のクラスの演奏に本当に感動した。よくここまで歌い上げたと。曲は大江健三郎の詩による「新しい人へ」。子どもたちの歌声に、信じられる大人になりたい と強く思った。歌詞をきっとクラスのなかで考え歌いこんできたのだろう。柔らかな身体とハ-モニ-の美しさにあのクラスの3年間が見えてくるようだった。感動をありがとう。  山本さんのピアノはきっとこれからまたどんどん成長を遂げていくことだろう。ト-クの中に彼の実直さ勤勉さがあふれていた。謙虚な人間でい続けることは、なかなか難しい。まっすぐ作曲者に向かい曲に向かい続けているだろう日々を心から応援したくなった。繊細なピアニシモの音色が強いパッセ-ジより心に語りかけるようだった。午前からの音楽会が あっという間に終わってしまった。  明後日は長女の中学卒業式。

華恵という作家

 ウチの子どもたちに松本の小さいおうち書店から毎月届く本。今月来た本の中に華恵の「本を読む私」というのがあった。作者が長女と同じ15さいということもあって、子どもに渡す前に読み出した。そして一気に読み終えた。  なんともさわやかな読後感。そしてこの本の中に紹介されている英語の本がどうしても読みたくて、書店に問い合わせたところ、いとも簡単に「ありますよ。」のこたえ。そして早速送っていただいた。多謝。  紹介されている本は英語のものだけでなく、日本の重松清の作品とかも含まれているが英語の本の「YO!YES!]というのがとてもかわいくて、しかも自分のレッスンの中の色々の要素につながっていくきがして、なんだかうれしくなった。  今日、中野のリトミックで谷川俊太郎の 「あⅠ」という詩を題材にしたが、そこにも重なる部分があるような気がしている。  最近偶然のような色々な点と点が恐ろしい勢いでつながり、線になりそして面になっていく。いづれは何かとんでもない立体が生まれてくるのかも知れない、とひそかに期待している。

中野哲良さんのこと

 今月18日 四谷で篠笛の木村俊介氏と一人芝居の中野哲良氏による 一坪半劇場というライヴが行われる。今からわくわくしている。  中野さんは、獅子舞や津軽三味線、鳥刺し踊り、ししおどり、様々な独楽回しという日本のあちこちに伝わる伝統芸能を公演する一人芝居の役者である。その一つ一つの芸の完成度の高さもさることながら、場所場所での観客をとても大切にしているのが伝わる。だから同じ演目のものも場所が違えばまた雰囲気が違ってくるのが不思議だ。また、身体のしなやかさには本当に驚く。獅子がジャンプしても重さを感じないのである。だから無駄な足音は一切聞こえてこない。身体の動きが美しい・・素直にそう思う。(しかも私と同じ歳なんて!!)  最近ジムに通いだした。あきれるほど無駄な肉がついている自分に腹が立つほど。何でもそうだが「まあいいや」と思ったらそこまで。まだまだを言い続けたらずっと進化していけるのでは?そう思えたのも、中野さんの演じる様を見たからこそ。  加えて不思議なつながりがまた広がっていくのを感じている。中野さんはシュタイナ-農法をも極めている。そして生き方の視点が私の出会ってきた大好きな人たちと同じと感じられるのである。今回一緒の木村俊介氏の演奏会でもそれを感じた。ことばにならない、ダイレクトに感情をゆすぶる気持ちの高揚感。・・・・・・・私も大学の頃からシュタイナ-をかじりいつしか頭のどこかに置き忘れていた。それを強烈に思い出させてくれたのがリトミック仲間の智恵子ちゃん。中野さんとの出会いも智恵子ちゃんなしではありえなかった。  去年パントマイムのももちゃんと小野寺さんが子どもたちと公演を創っていく過程を見ながら、お二人に心から願ったのは、子どもたちとの時間を今後どんどん作っていって欲しいということだった。こどもたちの前でお二人はまさに教育者であった。今パリでたくさんのことを勉強しているお二人が帰ってきたら、これからの子どもたちに大きな力をたくさん与えてくれるのだろうな、と熱く思っている。  今中野さんとの出会いの中でやはり思うことは、中野さんとかかわる子どもたちが目を輝かせる場がきっと作られていくだろうな、ということ。中野さんは子どもたちが安心して信頼し、憧れてついていきたい大人であるから。  少しミ-ハ-的な言い方かもしれないが、今年私は中野哲良(のりよし)氏のおっかけです!

第2回中野でのリトミック

 来てくださった皆さんありがとうございました。  園児のTちゃんは前回に引き続ききてくれました。たった2回目なのにTちゃんが吸収している情報量の多さと確かさにびっくり!それから耳の確かさ。お母さんのサポ-トもまた素敵で、なんだかこちらが目いっぱい幸せになってしまいました。次回も期待してしまいます。  小学生リトミックにいつも参加してくれるAちゃんKくん そしてSちゃんAちゃん そのお母さんには毎回驚きと発見があります。今日見学をしていたS先生の瞳の輝きもまた素敵でした。そして初めて参加してくれたHちゃんFくん。ほかの子がリトミック経験者ばかりだったから最初はずいぶんとまどったでしょうね。なのに本当にのびのびしていました。これてってやはりニコニコして見学されていたお母さんのおおらかさも影響しているのでしょうね。自分のやっていることといったらやっぱり脈絡なく中途半端ばかりだったけれど、子どもたちのしなやかさに感動しました。  それから加えてもうひとつは、よい音の楽器にたくさん触れることの大切さ。今日たまたま手に入った楽器の音色がとても不思議な感覚でした。楽器の名前は忘れたのでまた調べておきます。  子どもたちって、絶対こちらの予想を裏切る反応をするものですね。そのすごさによし!とまた次に向かうエネルギ-をもらうのだと思います。中野に少しずつリトミックが定着していったらうれしいな。  隣接するお年寄りの施設でピアノを聴いてもらう機会も今回いただき、おじいさんおばあさんに冬の歌を何曲か聴いてもらいました。皆さん本当に歌が大好きなのですね。子どもたちと一緒に何かできたらいいな とふと思いながら帰路につきました。 いつも雑用お願いしているKちゃん、今回もありがとね。

新しい年

 年が明けたと思ったら今日は5日。なんという速さ!飲み食い続けた年越しに一区切り、やっとそんな気分になった。  爆笑問題の太田光と中沢新一の対談集「憲法九条を世界遺産に」を読んでいたら、宮沢賢治のまったく私の認識していない部分の人物像が書かれていた。自分自身の胡散臭さというか、物事の表面しか見ていないことを思い知り、パソコンであわてて田中智学や日蓮宗に関すること、賢治の「農民芸術概論」jなどをプリントアウトした。  だからどうだということではないけれど、物事や人物には必ず裏と表があって、だからこそ存在している(=でなければ存在し得ない)ということが、日頃はあまり意識していないのでは?と改めて思った。漠然としているが、見方を変えれば善が悪でもあり、否定されるからこそエネルギ-になったりということの連続の中に私たちは生きているということをことのほか強く感じた。  当たり前に生きてみる これが今年の私のテ-マ。

成熟

 「成熟した大人」というテ-マの おつきゆきえさんの絵本の会に出席した。時間を忘れて、おつきさんの発することばの一言一言をかみしめた。絵本を見ながら聞きながら、馬鹿笑いし、そして涙ぐむ。そういう自分が好きだ。理屈ではない。感じること。  おつきさんが おっしゃった中で「せっかくの一度きりの私のライブなのに、下を向いてメモを取る先生、居眠りをする先生の感覚はどうなんだろうとおもいますよ。クラスの子どもたちまで埴輪状態。かわいそうというか・・・。」  以前数学者の秋山先生の公演を居眠りしていて 聞いてなかったクラスメイトに激怒したうちの子たちの発言にも重なった。  真に成熟した大人はタイムリ-な瞬間を逃さないだけなんだろう。しかも自然に。  今日も茨木のり子さんの詩が登場した。この頃また新しい詩集を買って読んでいた私にとってまた大げさに言えば運命的であった。  

中野市で初めてのリトミック

 4人の園児とお父さんお母さん合わせて8人でやったリトミック。Tくんはやんちゃ盛り。 何でも反対をしたくなる。でもコレってやっていることが分かっているからできること。そのことをもっとお母さんに伝えればよかった。  小学生は体験者ばかりだから遠慮なし。Eちゃんのお母さんが素敵だった大人講座と連続3講座は、なんだかあっという間だった。相変わらずしゃべりすぎる私・・。今度こそって思うけれど、やっぱりテンション上がるとどんどんペ-スが早くなるんだろうな。自分が楽しくなってきちゃうから。やっぱり、こうすればよかったの連続。  それともうひとつ。今日思ったことは、いろんなことが偶然ではなく、必然であること。中野でこれからリトミックが定着していくかは結構難しいと思うけれど、人と人のつながりがいつかきっと結果を作っていく気がしています。

今日のレッスンで

 いつも調子に乗りっぱなしのM君。お母さんも、じぶんの子がまわりに迷惑かけているという気持ちが強く、何度もリトミックやめさせようとしていた。当の本人ははしゃぎたくて、リトミックは大好きで、いつも私に折り紙やカ-ドを作ってきてくれる。  今日のレッスンでクリスマスのお話から 荒井良二の「きょうというひ」という絵本を読みながらろうそくの手遊びをしてみた。指にともしたつもりのろうそくに、「みんなは何をお祈りする?」と問いかけたら、M君「あのね、病気のお友だちがいるんだよ。だから早く元気になりますように ってお祈りするんだよ。」  あ~やっぱり。この子はちゃんと心が育ってiいるんだな。私は鼻の奥がつ-んとして、絵本のようなろうそくが心にともった気がした。(きざな言い方だけど・・)  本当のところ、M君のこと、少しも話を聞けない子 とちょっぴりきめつけてる私だった。お祈りの内容だってきっと サンタさんにプレゼントください みたいなことだろうな なんてたかをくくっていたし。お母さんにはM君のいいところたくさん話していたけれど、リトミックのレッスンが思うようにできないのはM君が影響してることはあきらかだった。だけどどこか違うところを私も見ていたんだという気がした。M君はいつだって自分を目いっぱい表現している。お話もきいていて、全部わかってほかの子と違うことをあえてする。それは分かってたはずなのに・・。  M君が全開でむかえるレッスンをもっともっと工夫したくなった。