中野リトミック

 きてくださった皆さんありがとうございました。小学生のリトミックに来てくれたT君。いつもどちらかといえばいもうとのリトミックのあと、ついでにという感が強かった。でも今回、自分でいきたい!といってきてくれた。だけどあいにく他の小学生が都合でこれなくて、それでも一人でやって行くと力強く言ってくれた。  T君の発想の豊かさに、思いもかけないことをたくさんやることができた。「すごいね、いつもそんな楽しいこと考えてるの?」と問う私に「うちじゃあ そうじゃないよ。なんにもやることないからプレステとかやるんだよ。リトミックだからでしょ。」  どうしてなんだろう?ワクワクしながら絵本を見つめる目、ひとつの課題のヴァリエ-ションをどんどんやってくれる柔軟性、発想の奇抜さ・意外性・・・どれもこれも今この時期だからこそのものなのに、ほとんどの時間をゲ-ムに費やしてしまうという。  来月も待ってるよ T君。またたっぷり遊ぼう!ジョン=バ-ニンガムの絵本がいろんなところで重なった。

細川律子さんの朗読

 見たことのない岩手の山々が目の前にせまってくる。昔話なのになんだかどきどきしてきて、風景の中に自分がこっそり隠れているような気持ちで聞いた。    宮沢賢治の詩も、童話も透き通った風が通り過ぎていくようだった。賢治の体験から語ることば、体験を表現することば、すべてが、今の私につながってくる。律子さんの自然な方言が読んだだけでは分からなかったぬくもりを伝えてくれた。私の全身が、聞くことにどっぷりつかった。ただただ心地よい時間だった。

おつきゆきえさんの絵本の会

 「支え」・・・一言で支えといってもとらえかたも、支えになっているものもそれぞれが違う。だけど支えなしには生きていかれない。  『ひとりぼっちのかいじゅうといしのうさぎ』という本。安易に子どもに読み聞かせないで、とおつきさんはおっしゃいました。でもあのかいじゅうの生きている世界は、そっくり現代社会です。それを思うと、なんだかいても立ってもいられなくなてしまって。一人でも多くの人に読んで貰って、何を感じたか聞いてみたい。  同じ日ちいさいおうち書店からこどもたちに届いた本の中の、「マジョモリ」と「わたしのおじさん」を読んで、ああそうだ、子どもたちにはこういう世界がもっともっと必要なのだと思った。  それはみんな生きて行くうえでの畏れの念につながると思うのだ。  ネットと書店でまた大量の絵本を購入。

Aちゃんのお母さん

ステップ3のAちゃんのお母さん。若いとは思っていたけれど25歳なんて!しかもウチの娘たちと同じ中学。長女とは同じ高校。娘とのほうが断然歳が近い。やはり私はばあやの領域なのだと再認識。でも、このお母さんとはなんだかとてもウマが合う。というよりいまどきの若い母のイメ-ジでないのである。だから母ととことんときあってもらえるAちゃんは幸せだ。いまどきの若い母だってこんな素敵な人がちゃんといるのだ。それがうれしくなってしまう。彼女のお姉さんと同級生だったというSちゃんのお母さんといい、ああちゃんとつながってる を実感してしまった。出会いに感謝。

信頼

 先日テレビで教育に関して「責任」をテ-マにさまざまな討論をしている中で、子どもたちが語っている場面を見た。子どもたちは、親や先生、友だちなど知っている人、つまり間の前に実在している人は信用できないから、いざという時悩みとかはいえないというのだ。それより、ブログなどで悩みを打ち明けて、それに対して親身になって答えてくれる見知らぬ人のほうがよっぽど信用できると。さらに、結局は問題があったら自分で何とかするしかないといいきった。親友なんて作ったら、いつも一緒にいなきゃいけないから、めんどうだという子もいた。  人とかかわるということを知らない。信頼できる人との出会いがないということ、これが今の社会の現実なのだと思った。これは結局、親の世代もまた、信頼する人との出会いがなく生きている人たちが多いということになる。    その翌日、秋晴れの紅葉のなか上越教育大学附属小学校のポプラ祭に行った。子どもたちの表情の明るさがまぶしいくらいである。どの学年の歌も演奏も、生き生きといていて、こちらの気持ちもうきうきしてくる。この子たちは、どう答えるのだろう。やはりおとなを信じられないのだろうか・・。  「江谷先生が憧れ。だからピアノを習いたい」そういって友人の智恵子ちゃんの所にレッスンにいくようなった兄弟の話を聞いて、やっぱりと思った。この小学校の子たちは、いつも音楽を全身で表現する。ひとりひとりがしっかりうけとめられ、認められいる。そういう積み重ねの表れなのだ。  ポプラ祭の発表に先生の存在はまったくない。すべてが子どもたちにゆだねられ、みごとに運営されていた。子どもたちが何より楽しんでいた。音楽専科の江谷先生はというと、いつも満面の笑顔で精一杯の拍手をしていたのである。

誕生日

 今更誕生日なんて・・そう思いつつも思いがけないメ-ルがきたり、祝ってもらったりすると、うれしいものである。ステップ3のSちゃんと私はなんと一日違いの誕生日だった。 レッスンの最後にみんなで♪Happy Birthdayを歌った。  空がどこまでも青く気持ちのよい一日だった。私の生まれた日はどんな日だったんだろうな。

睡魔

 夜とにかく眠くて起きていられない。10時過ぎに布団に入る。でも悲しいかな、4時間睡眠が身体になじんでいて、はっと目を覚ますと2時だったりする。午前中に仕事が入っていないとき、「よし、寝よう!」と決意する。でも洗濯を干して、いろいろやっていると、やらなければいけないことがたくさんあることに気づく。  子どもたちに、少し先のこと見通してやりなさい なんて言っている私がいる。そりゃ無理ってもんだ。私が今のことにおわれ、かろうじてぎりぎりセ-フの生活しているんだから。  今日も次女は電車一本乗り遅れて、ぶつぶつ言いながらでていった。私は・・・やることはいっぱい、やりたいこともいっぱい。でもやっぱり寝たいのだ。

H君とA君

 ステップ5の二人のレッスンがあった。H君のお母さんはタイ出身 A君のお母さんは韓国出身で、年に数回帰国のためレッスンをお休みすることがあるが、二人ともほとんど休まずレッスンにやってくる。このところ、なかなかこちらの願うようなレッスンになっていかず、困っていたのだが、今日は競い合う場面も見受けられてこちらの方が驚いた。H君もA君もリトミックのほかにもさまざまな習いごとに通っているようで、どちらのお国でも教育に対する関心が高いことがうかがわれる。  二人が大きくなったときに、心のどこかに思い出すようなシ-ンとしてこのレッスンが残っていてくれるだろうか。少し生意気になってきて反抗しながらも、帰るときすっかり暗くなった外が怖いと、しっかり私の手を握ってきた様子に、微笑まずにはいられなかった。

教養部講演会終了

 中垣寿彦先生の講演会が、授業参観のあと行われた。本当のところ何人来てくれるのか心配で仕方なかった。中垣先生には「たくさん集めますから!」なんて豪語しておいたくせに、反応がまったく分からなかったから。たくさんの人で会場がいっぱいになってほっとした。  講演はやはりすばらしかった。どんな集団に対しても、一瞬にして心をつかんでしまう先生のお力は、やはりその人格からくるのだと思う。お会いしたとたん、ほっとする。思わず笑顔になる。だから先生のことばを一生懸命聴きたくなる。  先生の講演の内容のどれだけを親たちは家に持ち帰ったかは分からない。でもSちゃんのお母さんが、学校にいけないSちゃんに対して自分はしていはいけないことばかりしていたことに気づき、中垣先生の所に一緒に連れて言って欲しいといってきた。お母さんが変わろうとしたとき、きっと子どもは変わるのだと思う。  リトミックもまったく同じだけれど、効率ばかり優先していて大切な体験を後回しにしていたら、そのつけは必ず子どもの心にふりかかってくる。『主体的自己決定性』は、もしかしたら親の相当の覚悟なしでは育たないのではないか。それほどに、親は過干渉であることになかなか気づかない。  子どもの姿をちゃん見る。子どもの声をちゃんと聴く。そしてそのままを認める。簡単そうでできない親の姿である。  中垣先生、ご多忙な中、すばらしい講演をありがとうございました。

むつみ幼稚園

 新潟県十日町にあるむつみ幼稚園で行われた、リトミック講習会に行ってきた。講師は石田保代先生。  117号線をひたすら車を走らせ、たっぷり2時間かけてたどり着いた。  今年度より近くの保育園が統合されたという。2歳児20分 そのあと年少 年中 年長のクラスが各30分ずつ。子どもたちの集中は途切れることがなかった。先生のお話を聴く様子、目をいっせいに向けじっと見つめる表情。「いいなあ」そう思った。 リトミックそのものはそれをする空気をどうつくっていくかにかかっていると思う。農家が作物をつくる前に土作りをするのと一緒だ。私もゆっくり時間をかけてそれをしなければ・・・と思った。目先の効果、たとえば元気に走ったり歩いたり、ジャンプすること、リズム唱することに終始しがちだが、じっと耳を澄ます、先生のかすかな声にも聞き耳をたてることはこつこつと継続していかなければなかなかできていかない。 石田先生と子どもたちが作り出す雰囲気のなかに、日々の先生方の地道な継続の姿をうかがい知った。 私自身の大きな目標と、自分にできていない地道な努力の積み重ねについてまた考えさせられた。また来年も必ず行きます!