先日テレビで教育に関して「責任」をテ-マにさまざまな討論をしている中で、子どもたちが語っている場面を見た。子どもたちは、親や先生、友だちなど知っている人、つまり間の前に実在している人は信用できないから、いざという時悩みとかはいえないというのだ。それより、ブログなどで悩みを打ち明けて、それに対して親身になって答えてくれる見知らぬ人のほうがよっぽど信用できると。さらに、結局は問題があったら自分で何とかするしかないといいきった。親友なんて作ったら、いつも一緒にいなきゃいけないから、めんどうだという子もいた。
人とかかわるということを知らない。信頼できる人との出会いがないということ、これが今の社会の現実なのだと思った。これは結局、親の世代もまた、信頼する人との出会いがなく生きている人たちが多いということになる。
その翌日、秋晴れの紅葉のなか上越教育大学附属小学校のポプラ祭に行った。子どもたちの表情の明るさがまぶしいくらいである。どの学年の歌も演奏も、生き生きといていて、こちらの気持ちもうきうきしてくる。この子たちは、どう答えるのだろう。やはりおとなを信じられないのだろうか・・。
「江谷先生が憧れ。だからピアノを習いたい」そういって友人の智恵子ちゃんの所にレッスンにいくようなった兄弟の話を聞いて、やっぱりと思った。この小学校の子たちは、いつも音楽を全身で表現する。ひとりひとりがしっかりうけとめられ、認められいる。そういう積み重ねの表れなのだ。
ポプラ祭の発表に先生の存在はまったくない。すべてが子どもたちにゆだねられ、みごとに運営されていた。子どもたちが何より楽しんでいた。音楽専科の江谷先生はというと、いつも満面の笑顔で精一杯の拍手をしていたのである。