12月

 もう師走も11日も過ぎている。色々あって、そのたびに一喜一憂。  少し前に比べると、だいぶ睡眠が多くなってきた。というか眠らないことには身体がもたない。日の長さも関係していることは間違いない。朝5時はまだ真っ暗。おきろというほうが無理。夕方も4時を過ぎると暗くなってくる。夜が長い。  「絶対にのがれることのできない運命に直面した時、その運命に徹底してそれを絶対的に肯定するといふこともひとつの表現愛である。」(木村素衞 教育学の根本問題より) この一文が身にしみる。

 なんだか見ていると愉快になる詩の本をたくさんネットで購入した。説明をするよりまあ読んでください といいたい。「ことばあそびえほん」のら書店「あいうえおにぎり」偕成社「にほんごにこにこ」理論社「しゃべる詩あそぶ詩きこえる詩」冨山房など。くわえてこのごろなくなった茨木のり子さんの「詩のこころを読む」はまた味わい深い。そういえばラジオでも茨木さんの番組をNHKでやっていた。パソコン・携帯・テレビなどの情報を一切たちきっていたという茨木さんの時間。それで充分素敵 といいきれる自信。でも晩年はうつぎみだったとか。それほど今の情報社会の重圧は大きかったのか・・・。  こどもと静かに本を読んだり話をしたりする時間を家庭で持つことの大切さもまた痛切に感じる。この頃一緒にアンサンブルをしているT先生 木曜日はノ-テレビデ- だとか。言うだけでなくちゃんとしている大人もここにいる そう思ってうれしくなった。大人たちと こども達のことを真剣にかたってばかりの今日この頃。

贅沢

 山の空気をたくさんすいこみ、そこに暮らす人たちの温かさに触れ、気持ちが最高に幸せなところで、そばをたくさんいただいた。一緒に出された野菜や豆のまた美味しいこと。体中の感覚がひらいていく感じがした。車にどっさり、朝採っていただいた大根・白菜・にんじん・キャベツのお土産までいただいて。  夜は 木村俊介氏のコンサ-トに出かける。これもまた感動!笛と津軽三味線を演奏する彼が生み出す音は、私の身体の隅々までしみこんだ。ゲスト出演の琴、バイオリン、パ-カッションのそれぞれの奏者との間が なんとも言えず絶妙で、こんな心地よい空間に浸れる幸せをしみじみ思った。  絵本を読むおつきさんが 絵と文字が合わさってできる空間が伝えるところを受け取ってくださいと話されたが、同じことをこのコンサ-トでも感じた。篠笛とバイオリンの音はハ-モニ-を奏でると大陸の音になる。不思議な感覚である。琴はパ-カッションと完全にシンクロする。琴がメロディ-を奏でると同時に打楽器になっていく。 どれもコレもその楽器単独ではなしえない新たな領域であったように思う。  贅沢な一日を過ごした。

東京は人だらけ・・

 本部での講習があって、朝から上京した。長野駅でびっくり。なんという人!新幹線に乗られないかと思った。そうか、世の中は3連休の初日かあ。東京駅でまたまたびっくり。見たことのないくらいの人、人、人。どこからこんなに集まったのだろう。そういう私も・・。  久々兄と待ち合わせて銀座へ。11時前は人も車もまばらだったのに、小一時間の間に歩行者天国が始まりとんでもないほどの人間が銀座にあふれていた。圧倒されるなあ、やっぱり。  午後は一時半から五時半まで新宿の本部で講習。すっかり暗くなって外に出て、歩いていたら、次女のクラスメイトの一家に遭遇!!そんなばかな。東京の暗くなった新宿でなんで長野の人と会うのよ~。連休を利用して家族旅行だとか。いいなあ。  9時過ぎに家に着き、やっと一息。長い一日だったなあ。ふと新幹線のなかで泣き続けてた赤ちゃんと もう勘弁してくれよ といった表情の若い父親 あれからどうしただろう と気になった。確か行きの新幹線中でも子どもの泣く声が続いてた。色々な理由あるでしょうが、こんな天気のいい日は空気のよいところでゆっくりしたいですよね。だから私は明日 新鮮な空気吸いに出かけます。  長野は今新そばのシ-ズンです!!

子ども達

 おつきゆきえさんの絵本と朗読の会が長野市の某小学校で行われたのにちゃっかりお邪魔した。毎回紹介してくださる絵本の種類の豊富さ、そしてそこに込めたおつきさんのメッセ-ジになんともいえない極上の時間をすごす。  でも、こども達の様子が何か変なのである。おつきさんのすばらしい声色、目の前に情景がパアっと広がる朗読に表情が何も変わらないこどもたち。なぜ?何も感じないの?あげくのはては、大笑いする私と友人の方をめいわくそうに振るかえる女の子たち。ねえ、何でそんな怖い顔してるの?このおはなし 今サイコ-におもしろいこと言ってるんだよ。  先生たちもまたほとんど表情が変わらない。それよりこどもたちの聴く態度がちゃんとしてるか、あと何分で終わるのか そんなことを気にしているような・・。このおはなしの会を楽しみにこの部屋に入ってきたのではないのですか?    リトミックの時も思う。先生が心と身体を開いて向かってきてくださるクラスはどんどん変わっていく。お話もまた然り。大人の向かい方一つでどうにでもなる気がする。先生方はどうして芸術に向かう時構えるのでしょう?こうあるべきだ なんてル-ル何一つないのに、自分の心に正直になれない。硬い扉の中に自分の感じ方や発想・思いを全部閉じ込めて、子どもに何を教えるのですか?そして何におびえるのでしょうか。おつきさんのお話を楽しみに出かけたのに、子どもたちの毎日が見えてしまったら苦しくてたまらなくなってしまった。でもおつきさんはどんなところにもお話を配達に出かけるのだ。私なんかよりずっと苦しく重いものをあちこちでひろいながら。  

良いものに触れて

 先週は数学者の秋山仁氏の講演を、中学校の体育館で娘たち中学生と共に聴いた。その興奮が冷めやらぬ今日、おつきゆきえさによる朗読の会に参加した。よいものは余韻が残る。お二人の生命のエネルギ-に、ありきたりだが生きることのすばらしさを思わずにはいられない。  ただ現実は、というと良いものに浸れない子どもや大人があまりに多いということ。秋山さんのあの熱い語りに対して、ずっと寝ていたクラスメイトに下の娘は激怒して帰ってきた。学校の授業なんかよりはよっぽどおもしろかったのに、寝るなんて考えられないというのだ。確かに私の左隣の母親も途中ずっと舟をこいでいた。私はというと知らずに口を開け、身を乗り出してきいていた。一緒に言った友人のKちゃんにいたっては、あまりの感動で泣いていたのだ。心に響くはずのものが響かない。こんな悲しいことはない。  モンテッソ-リ教育の相良先生いわく 子どもはもともと美質を備えているという。それが現れてこないということは 子どもたちを取り巻く環境のせいということだ。子どもたちが美しくしなやかに物を感じ表現できるために、私たち大人がしっかりしなければいけない。  おつきゆきえさんのよむ宮沢賢治のお話は 鮮やかな色とにおいと風 そしてその土地のぬくもりまでイメ-ジさせてくれた。心があったまった。「子どもを愛することに過ぎることはないんです。だったら愛して愛して愛しぬけばいいでしょう?」これから母になる人にこの一言つたえたい。

川田先生のところにお邪魔して・・

 今月の初心の会、秋の忙しい時期ということもあり、参加者が更埴のT先生と私だけだった。実際のところ私も行かずにいようとも思ったのだが、川田先生のところでのたくさんの刺激・感動を思うと気持ちが向かってしまう。  たった3人だけということもあって、今回は本の読み合わせはなしでたくさんのことを話して時間が過ぎた。  「しっかりした人間を育てること」に対して 自分も含めどれだけの大人が真剣に考えているか。そして考えていかなければならないか ということについての話がたくさん出た。世間は、今がおかしい という自覚がないまま日々が過ぎていく。今の自分の利害関係には関心をもっても、社会や世界の問題に無関心でいられる子どもたちを育ててはならないのに、加速度的にそうなっていく根源を見ようとしない。  夏 安曇野で開いた初心の会が今後たくさんの人を巻き込んで、教育そのものをしっかり考えていくものになったら・・という期待が一縷の望みか。

反省

 リトミック月例会のあとの何日間はいつもなんともいえない深い反省と共に過ぎる。こうすればよかったと思うことだらけで。結論、準備が足りてない。みとおしが甘い。受講生の皆様 来月はもう少し分かりやすくできるよう頑張ります。

町民運動会

 やっと終わりました。育成会の体育部部長という立場上 仕事がいろいろあって、とにかく無事終わってよかったのひとこと。運動会当日の朝、吐き気におそわれ、2度ほど吐きおまけにそのあと下痢。一日持つのか正直なところ自分でも自信なかったのです・・。運動会が終わって家にかえりひそかに検温。最初37度。少し熱あったかあ と横になっていたら悪寒、関節痛がひどくなりまた検温。お-38度だ!でも一日砂埃の中でいたから風呂には入りたいし。しばらくしたら少し汗をかいたので、再び検温。37度2分 よしいまだ。風呂にすかさず入りそのまま寝ることに。  さてきのうお茶2本しか口にしなかったから、今朝炊いたおかゆの美味しかったこと!熱は下がったけれど胃腸が今ひとつ。でも今年夏少々増えた体重は一気に落ちていました。これはラッキ-。そろそろついた分の体重を落とさなければと思ってましたから。結局のところ、体重は食べ過ぎれば太るということなのですね。当たり前だけど。だから食べなければ減る。簡単です。でもせっかくの食欲の秋、美味しく食べる幸せ感じたいです。今日はおかゆの美味しさで充分 と言うところでしょうか。

国語

 藤原正彦氏の「祖国とは国語」(新潮文庫)を読んでまさにそうだ!と思い、教育の質というものをまた考えさせられた。  高次の情緒は教育で培われる というところその通りだなあと思う。色々言っていてもうまく伝わらない。どうか皆さん この本読んでみてください。  今日レッスンに来たYちゃんとお母さん、うちの本棚から毎回本を借りていく。(絵本から大人向けまで自分で言うのもなんだがこの本棚は品揃えは豊富である)-実はこの本棚 近くに住む友人Sちゃんが子どもをレッスンに通わせながら「絵本から難しい本までこんなに本あるんだから本棚つくってレッスン待ちの子に読んでて貰ったらいいのに」のひとことで始まった。-  で、Yちゃん親子、今日のレッスンの時「先生 この本よかったです。少しずつ読んであげたんだけれど最後Yも私も泣いてしまって・・・」本を読みながら泣く ああいいなあ。Yちゃんきっとこれからもたくさんの感動する本に出会っていくだろうな。なんて思った。来週お祭りでレッスンお休みなので Yちゃんはまた3冊かりていった。  国語の教科書で名著が取り上げられないのは 漢字が到達年次に達しないものや文語への抵抗があるからだとか。だれが決めたか知らないけれど 確かにこどもたち 名作を知らない。というより読書をしない。  世の中のお父さんお母さん 本読んでますか?子ども達に本勧めていますか?レッスンが終わっても帰ろうとせずにうちの本棚の本読んでいく子ども達見てると、今の子は読書が嫌いって言うのは嘘だと思います。環境でしょ 全部。なんだか子ども達にゴメンナサイだ。情けない。