先週は数学者の秋山仁氏の講演を、中学校の体育館で娘たち中学生と共に聴いた。その興奮が冷めやらぬ今日、おつきゆきえさによる朗読の会に参加した。よいものは余韻が残る。お二人の生命のエネルギ-に、ありきたりだが生きることのすばらしさを思わずにはいられない。
ただ現実は、というと良いものに浸れない子どもや大人があまりに多いということ。秋山さんのあの熱い語りに対して、ずっと寝ていたクラスメイトに下の娘は激怒して帰ってきた。学校の授業なんかよりはよっぽどおもしろかったのに、寝るなんて考えられないというのだ。確かに私の左隣の母親も途中ずっと舟をこいでいた。私はというと知らずに口を開け、身を乗り出してきいていた。一緒に言った友人のKちゃんにいたっては、あまりの感動で泣いていたのだ。心に響くはずのものが響かない。こんな悲しいことはない。
モンテッソ-リ教育の相良先生いわく 子どもはもともと美質を備えているという。それが現れてこないということは 子どもたちを取り巻く環境のせいということだ。子どもたちが美しくしなやかに物を感じ表現できるために、私たち大人がしっかりしなければいけない。
おつきゆきえさんのよむ宮沢賢治のお話は 鮮やかな色とにおいと風 そしてその土地のぬくもりまでイメ-ジさせてくれた。心があったまった。「子どもを愛することに過ぎることはないんです。だったら愛して愛して愛しぬけばいいでしょう?」これから母になる人にこの一言つたえたい。