Sくん

 ステップ2のSくん、最近自分の思い通りにならないと泣き叫ぶ技を覚えたとか。母いわく、そんなときは超ムカツクとのこと。なるほど、ご機嫌で音にあわせてお尻ふりふりしてると思ったら、一緒のYちゃんがもっていたものをうばい、Yちゃんが大泣き。Sくんはママにおこられ、Yちゃんから奪い取ったものを母にとりあげられこちらも大泣き。  こんなことでこちらもひるんでいられないと、いいものちらっとみせ作戦。おやおや 涙が流れてないぞ。結局Sくん「あのね Yちゃんだいすきだよ」と満面の笑み。自分の一番大事な三輪車に、Yちゃんを乗せてあげるんだって。負けじとYちゃんも弾丸のようなおしゃべりが始まる。  楽しいこともうれしいことも、もちろんだけど、お友だちとぶつかること、自分の思い通りにならないこと、そんな場面に出くわすと、お- と思う。困った顔の母、私もそうだった。  いえるのはどんなことも経験して何ぼ ということ。母も子もそして私もたくさん「しまった!」ということを経験するから、次はこうしたい と思えるのかな。レッスンの中のトラブルが人間臭くて懐かしい。

小学校のリトミッククラブ

 初めてリトミッククラブというものを学校で作ってもらい、外部講師として出向いた。やりたい子が集まるのがクラブ。最初から盛り上がりっぱなしだった。   昨年度までT先生のクラスだった子が8人、プラス新人2名の5年生計10人。いきなり語る、語る・・・。その感情の表出に圧倒された。  表現したい!その気持ちがほとばしる1時間半だった。あの子達と何が作れるだろう。あの子達の気持ちや身体を目一杯のばす時間になれるだろうか。ここからは私自身の挑戦でもある。  子どもは、元来表現したい気持ちがあふれている。それを忘れてはいけない。いつもこどもたちのサイドにいて、子どもたちのこころの根っこを育てているT先生の教育は、時間を経てより深くこどもらに刻まれているのを、また改めて思う。

20年度月例会はじまる

 1時間半があっという間に終わってしまう。やりたいことの半分も終わらない。 今年はティ-チングとリズムをジグザグに持つので、やりのこしを次回にというわけにはいかない。次回担当の先生との連携も大切になってくる。特別コ-スは2年目の受講生の皆さんも納得できる内容を提供しなければ、と思うと結構力も入る。  でもさすが3年4年と受講してくださっただけあって、熱意というか情熱を感じる。もっと近づきたいと思う。できなかったり、立ち止まってしまうことをさらけ出せるクラスであって欲しい。そのためには私もまた全部をさらけ出す。  ‘とことん’になるまで、いつも少しづつ努力を重ねたいと思う。  受講生の皆さんが笑顔で帰ってくださることがいちばんの願いである。

20年度開始

今日の本部教室のステップ4から 20年度がスタ-ト。 とはいえまだしっかり決まらないレッスンもある。 加えて連休前後、子どもたちがかぜをこじらせている。(かくいう私も) 新しい環境での生活は、頑張ってはいけない。 お母さんたち 子どもが休みたい時はしっかり休ませて下さいね。 さわやかな5月のはずだが、朝夕のすがすがしさに比べて 日中の気温の高さは夏のようだ。 適当 これがいちばん!

まさかのダウン

 自分の健康に関しては過信しているところがあった。レッスンの子から風邪がうつるなんて思っていなかったところしっかりうつり、しかもこじらせて中耳炎になってしまった。昨日今日と水中の中で耳の痛みに耐える状態が続いた。なるべく痛み止めを飲まずに静かにしていようとしたが、耳から頭にいたる痛みにどうしようもなく頓服を服用。痛みが治まっている時に仕事をやる状態が続く。  治るまでには時間がかかるとのこと。睡眠時間はとるようにしたい。今日はひたすら寝ていて、いくらでも寝られる自分に驚いた。  明日からは完全復活します!

進級をめぐって

 年齢が上がると、リトミック+他の習い事になる。そうすると月謝がバカにならない。だから最終的にリトミックをやめていくことになる。当然といえば当然。でも続けて欲しい。続けるとこんなにすごいですよ!というサンプルが私自身まだない。  他支局のどの先生も、そんな時期を乗り越えての現在なのだろう。  やむなく退会する子ののなかには、お母さんが両親の介護をしなければいけなくなった、とか仕事の時間でとか、子どもとは直接関係ないところで、子どもの意思とは別に ということもある。その場合は私もつらいが どうしようもない。  だから・・公教育のなかでリトミックが浸透して欲しいと願う。そして大人たちがリトミックを体験して欲しい。とはいえ総合と一緒で、至難。  一人でも多くの子どもたち、月例受講生の進級を願っているこの頃。

進級

 この時期 ステップ2から3への進級に迷われるお母さんが多い。幼稚園保育園に入って環境が変わることに対する不安と、今まで午前中のレッスンが、午後になり体力的にも続かないのではと心配したり、理由はいろいろだ。  だから4月は、北長野教室では準備期間ということで20年度のスタ-トは5月連休からということにしている。また、年中さん年長さんになると、ピアノを習いたいという子(親の願い)もあって、なかなかすんなり進級に至らない。  ピアノに触らせたい、触りたいということに異を唱えることはしないが、リトミックはどうかつづけてください と声を大にして言いたい。継続していることがどれだけの力になっているか、途中で中断してしまうことがどんなにもったいないか。  もちろん最終的に決定するのはお父さんお母さんである。だから決められたことには分かりましたというしかない。でも千葉で10年リトミックを続けた子どもの発表を見た時、長野でも「リトミックを続けてよかった」と、自分の口からいえる子どもが育って欲しいと心から思った。  リトミックは音楽の英才教育ではない。でも人間が人間として社会の中で生きていく力をつけるための基盤となることだと信じている。  『一人でも多くの子どもたちにリトミックを』 そのためにはお父さんお母さんにリトミックを理解していただかなければならない。私自身が親御さんから何でも話していただける人間であるか いつも問い直していなければ・・と思う。

テレビ取材

 リトミックがやっと取材を受けることになり本日民放局で放映された。取材を受けたことは本当にありがたいし今後につながることだとは思う。でも、実際放映された内容に関しては、ごくごく末端のことでリトミックの本質に関することではなかった。  なぜ?それなりに思いを語ったつもりだった。でもその部分は一言も使われていなかった。現実、世間はこういうことか とまた改めて思った。つまり目を引くこと、おもしろいこと、変わったことを取りざたするのである。もちろんそれも人目を引くためには必要かもしれない。でも人目を引きたくてやっているのではない。  一人でも多くの人にリトミックのよさを知って貰い一人でも多くの子どもたちがリトミックを学んで欲しい。そして大人たちは、リトミックを通して「子どもに対する視点」を学んで欲しいのだ。そしてじっくり腰をすえて子どもと対峙してほしいのだ。  めげてばかりではいられない。また一から出直しである。

千葉のリトミック発表会

 千葉パルルホ-ルで20日に行われた発表会は目を見張るものがありました。子どもたちが本当に輝いていました。  圧巻は小学生高学年と中学生の子どもたちによる3対4の入ったカノン。子どもたちの指揮やステップが本当に美しかったのです。これが長い間継続した結果か・・と思い、一つ一つのことを簡単にやってしまう子どもたちにいちいちブラボ-と叫びたくなりました。  小さい子たちもものすごくボ-ルがうまかったり、ちゃんとリズムを刻んだり、すごく楽しそうにやっているから、当たり前みたいに見てしまうけれど、とにかく驚きでした。    本当にリトミックってすごいです。

S保育園今年度最後のリトミック

 年長さんの男の子が、あいさつをしてさよならをするときに、いきなり立ちすくんで泣き出した。びっくりだった。そしてその泣く姿に感動した。保育園での手探りの一年間を終えてみて、本当にたくさんのことを学んだ。園長先生始め先生方の学ぶ姿もすばらしいと思った。そして何よりリトミックのすばらしさを実感している。  子どもたちの吸収力、まっすぐな目、たくさんの輝き、・・・ことばにできない一瞬一瞬が私の新たな力の源になっていく気がする。  学期末の忙しい時期に、月例会を受講されていた先生方は試験に向けて本当に努力された。その試験に対しても前向きで、先生たちにも輝きを見ることができた。ともに学びながら歩いていける喜びも感じている。  年長さんとのお別れは寂しいが、4月からまた新しい子どもたちに会える!