葡萄色の海

 川手鷹彦氏演出による 演劇塾〈銀河鉄道〉の舞台公演「葡萄色の海」を見た。宮澤賢治とギリシャ悲劇と現代の子どもたち(学校)が一緒になった演劇で、複雑な印象を受ける。でも以前里中満智子の描いたマンガ「ギリシャ神話」からの知識と、読み聞かせの会で読まれた賢治の詩で、賢治と妹トシのことを聞いていたおかげで、断片がつながる気がした。でも劇中 子どものせりふで「あなたはどれだけ宮澤賢治を知っているんですか?」と問いかけられ、おもわず苦笑い。  生きること死ぬことの尊厳、宇宙や自然への畏敬の念、そして人と人とのつながり(信頼)・・・実感というわけではないけれど、その重みを体中で感じる思いだった。  最後に賢治のことばをきいて、ああやっぱりと思った。「・・すべては子どもたちに。」そう、子どもたちはずっとメッセ-ジを受け取っているのだ。  

久々の・・

 ずっと続けていたテニスにここ一年、ほとんど行かれなくなってしまった。でも何回か仲間から「元気?」と連絡があり土曜は本当にお久しぶりのおしゃべりとなった。私が所属するさまざまな仲間集団の中にあって、私が最年少というきわめて稀な集団だけど、ホントにお気楽な仲間たちなのでずっとあっていなかったのがウソのよう。  たまには思いっきりテニスやりたいなあ。

栗おこわ

 昼からリトミック須坂教室での講師会があるため、久々竹風堂の栗おこわを買って食べた。内祝いとかに配ってばかりで、自分で食べたのはどのくらいぶりだろう。温かいのを買ってすぐ食べたせいもあって、1.5人前柳ごうり入りをぺろっと食べてしまった。  リトミックでの悩みがこのところたくさんあって、精神的に参っていたはずだけれど、自分の食欲に全然大丈夫なんだと改めて思った。何でも美味しく食べられるってやっぱりすごいや としみじみ。  講師会では、それぞれが自分の体験でうまくいかなかったことを話した。それが大事だと思う。どこかに似た体験があり、これから認定教室を持つ人に生かしていけることは、生かして欲しい。そしてまた似たような失敗を繰り返して自分のオリジナルを創っていく。一人になることといろいろな人に頼ることは別ではない そう思う。そのさじ加減なのだろうな。  それにしても栗おこわは美味しかった。

梅雨ってことか・・

 久々あいた午前中。近くのお茶の先生のところにお邪魔してお抹茶をいただく。ほっとするなあ。抹茶色と細かな泡立ちを見てるだけで呼吸数が減ってくる感じ。  少しだけ家の中を片付けてから、本を読もう。(その先は心地よい眠りの世界?)今日は曇り空だけど、読書にはもってこいの静寂。

上越教育大附属小学校公開

 音楽の江谷先生の実践に圧倒された。子どもたちのエネルギ-があますところなく表現に向かう。音楽が学校の真ん中に座っている。しかも身体の動きもすばらしい。斉藤喜博が目指していたのはこういうことだったのだろうか・・。  きのうのト-クタイムで公立の先生方が口にしていたこと。「現在の枠の中ではできない」枠?教育課程のこと?時間数?先生同士の牽制?多分全部そうなのだろう。ならばできることは何なのだろう。子どもは目の前にいる。その子たちの表現する力を引き出すためのアプロ-チは多分先生の数だけあるはず。  開放感のある上越教育大付属小学校の活力が地域公立校にも派生していくことを願わずにはいられない。

ゆめの木 終了!!!

 終わってしまえばあっという間のゆめの木コンサ-ト。講師演奏は最後まであわなかったけれどなんだかとっても楽しかった。みんなほんとにすごいなあ。自分のやりたいことをやったもん勝ち。でもコンサ-トのためなら、どんなこともNOはなし。誰もが同じ場所に立ってる。上下なし。言いたいことはちゃんと言い合う。課題も多いけれど皆でクリアできる気がする。来年は15周年!

読み聞かせ連続講座

 佐藤月子先生の連続講座が市立図書館で今年も始まった。年間計画を見たらでられる時の方が少ない。この頃スケジュ-ルのやりくりが大変になってきた。あれもこれも、という気持ちはあるのだけれど、優先順位はやはりそのたびに考えなければ と思う。  小さい子どもとのスキンシップ、これは勉強するようなことではなかったはず。でも読み聞かせの会でもその必要性を感じているとのこと。  きのうもス-パ-で小さい子に対して「うるさい!」を連呼しているお母さんを見かけ、子どもには笑いかけるしかできなかった自分。お母さんが気楽に出かけられる場所はまだまだ少ないのかもしれない。

怒涛の週末

 16日は午前中野でリトミック。午後は飯綱町民会館でゆめの木コンサ-トのリハ-サル。17日は朝から月例。終了後にふたたび飯綱町民会館に向かった。そしてやっと終わった。正直きつかった。でも振り返ると、どこの一こまも関連しあっていて、なくてはならない一こま一こまだった。だからすごい そう思った。  中野のリトミックで気づいたこと 子どもたちから教えてもらったことはそのまま今日の月例特別コ-スに生きてきたし、きのうの午後のリトミックステ-ジのリハ-サルは勿論たくさんの課題を残しつつも、講師の先生方のつながりを深めたとおもうし、今日から初級を受講してくださっている打楽器の塩津先生は、何かと心強い存在になっているし・・・。あげていたらきりのないつながりに対して目いっぱい感謝したくなった。  そしていつもたくさんのお手伝いをしてくださるKちゃん お母さんたち 遠くから来てくれる小学生 どうもありがとう。  今日は早く寝ます。

レッスン

 リトミックのレッスンはなかなか自分で満足のいくものができない。いつも最後にゴメンね と心の中で謝ってしまう。次はきっともう少し頑張るから。毎度その繰り返し。  ステップ3のSちゃんは 私自身を映し出す鏡のような存在だ。ほんの少しの感情の動きを、多分よりたくさん感じられる子なんだと思う。一緒にやってるAちゃんもすごい。私はいつも二人の何を見ているんだろう・・・。家に帰って、二人の表情を思い出しながら、たくさんの反省が押し寄せてくる。今日はいつもよりクラフトに時間がかかったが、Aちゃんのこだわりを、Sちゃんは自分のスタイルで待ち続けていた。子どもがちゃんと待てるのに大人は苦手、この「待つ」行為が。  レッスンカリキュラムも勿論大切なのだが、今目の前で私にたくさんのメッセ-ジを送ってくれるSちゃんAちゃんをしっかり見ていきたいと思う。二人に答えられる自分であるかは、多分ずっと私の課題。

山の音 第18回演奏会

 久しぶりに大学時代の仲間の演奏を聞いた。相変わらずだなあ が、第一印象。でもよくよく考えると、相変わらずやってるということ それができるというエネルギ-に感心してしまう。継続できるのは、好きだから。この好きがあるかないか たったこれだけが大きな違いになる。