不思議な出会い

 長野東口インタ-近くの「太陽のカフェ」というダイニング、シュタイナ-の蜜蝋クレヨンなど雑貨を売っていて「えっ?」とおもったら、店主の奥さんがシュタイナ-のもと教師とのこと。シュタイナ-の治療教育に感心があった矢先なので、関連本をたくさん売っていただいた。時間を作ってお話を聴きにいこうと思う。

初心の会を終えて

 保科温泉で1泊2日の初心の会「夏の会」があった。川田殖先生を囲んで、先生方と親が集い、教育について語り合った。先生方の持ち寄ったVTRの中の子どもたちの表情を見ていると、なんて屈託のない表情なのだろうとおもう。こういうまっすぐな子どもたちが社会にあふれていなければいけないのに、どこで何をわすれ、いつボタンをかけ間違えてしまったのか。今私がすることは何か。できることは何か。めざすものはなにか。大きな影響力はなくても、昨日今日と集った仲間は、今この瞬間から自分のできることをしていくに違いない。憂えてばかりでは何も変わらない。

おお!八月。

 今日梅雨が明けた。夕方の雲がすばらしく綺麗だった。そういえば地震の時、必ず雲に変化が現れる。私も一直線に立ちのぼる雲を見たことがあった。その日、その方面で強めの地震が観測された。先日の中越沖地震の際も、上越に住む友人は何日も前から不思議な雲をたくさん見ていたという。「今思えばあれが予兆だったんだね。そういえばその前の中越地震のある前日、燃えるような夕焼けが見えた・・。」自然をあなどるなかれ。  自然現象といえば、台風が限りなく九州に接近しているというのに長女は、インタ-ハイの応援要員として今日佐賀に向かった。帰りは土曜の予定。帰りのフェリ-、無理でしょう!台風進路が気になる毎日。今週4日間と来週4日間、長女は留守。3人分くらい話す彼女がいないだけで、家はずいぶん静かだ。  暑い一日が終わろうとしている。初心の会のレポ-トに苦しんでいる。またぎりぎりになりそうだ。

中野哲良さんのCD

 10年ほど前に中野哲良さんが出したCDを聴いて驚く。というより、やっぱり・・といったほうがいいかな。自分の固さを改めて思う。人生でどれだけ遊びがあるかということは、口にだしたら簡単なことだけど、そういう人生を実際歩いてきた人はごくわずかだと思う。だから余計私の口先だけの論理を思い知る。  一緒に中野さんと何かを創ることができることに、感謝したい。今度は、ちゃんと自分自身と向かい合うことができそうだ。さて、今年秋しなのキャンパスの2回目が開催されることが急ピッチで決まってきた。やるしかない。

子どもたちは半端じゃない

 今日のS保育園といい、先週の中野リトミックといい、子どもたちの感覚のすごさに私のほうが後ずさり状態。可能性ということばが頭から離れない。それに、なによりその場にいる大人の人(母親や先生方)とこういう感覚を少しでも共有できることがうれしい。子どもたち同士の中だからできること、大人が「大人や子ども」といった感覚を捨てたときに子どもたちと生まれる一体感、一人一人の発想の豊かさ(これは日頃の生活態度とはまったく関係ないから不思議)、・・・大切に大切にとおもう。  でもたくさん私が見えなかったこと、気づかないことがある。子どもたちの見方にムラがあったり、気になる子どもばかり見てしまったり、ちゃんと名前を呼ばなかったり。取り返しのつかない一瞬一瞬。ひとり一人の顔を思い浮かべて、「今度はきっと・・」。  子どもたちの笑顔になんだか涙が出るくらい感動してしまう日々。

1歳児レッスン

 信濃町の1歳児レッスンが始まった。3人とも男の子。さあ いいわけはできないぞ。ことばでの意志の伝達や感情のコントロ-ルの部分がまだ未発達な彼等は、全部がストレ-ト直球勝負。きっと困った、しまった、大変だの連続。だけど彼等がなにげにみせる表情やしぐさはため息が出るほどかわいいのだ。ああ だからやめられないんだなあ。  途中眠くて泣きだしたKちゃんが大の字で寝ている横で、お母さんたちと あいだみつをの詩を読んだ。「そのままでいいがな」

北長野教室 古間分室開講

 1歳児のレッスンが信濃町古間の元小学校だった古間公民館で始まります。  月2回 金曜午前11:00から  8月は24日のみ開講  9月は7日と21日の予定です。講師 北島由美    お問い合わせはリトミック研究センタ-長野第一支局 026-231-5474  または北長野教室責任者北島026-259-0864まで

葡萄色の海

 川手鷹彦氏演出による 演劇塾〈銀河鉄道〉の舞台公演「葡萄色の海」を見た。宮澤賢治とギリシャ悲劇と現代の子どもたち(学校)が一緒になった演劇で、複雑な印象を受ける。でも以前里中満智子の描いたマンガ「ギリシャ神話」からの知識と、読み聞かせの会で読まれた賢治の詩で、賢治と妹トシのことを聞いていたおかげで、断片がつながる気がした。でも劇中 子どものせりふで「あなたはどれだけ宮澤賢治を知っているんですか?」と問いかけられ、おもわず苦笑い。  生きること死ぬことの尊厳、宇宙や自然への畏敬の念、そして人と人とのつながり(信頼)・・・実感というわけではないけれど、その重みを体中で感じる思いだった。  最後に賢治のことばをきいて、ああやっぱりと思った。「・・すべては子どもたちに。」そう、子どもたちはずっとメッセ-ジを受け取っているのだ。  

久々の・・

 ずっと続けていたテニスにここ一年、ほとんど行かれなくなってしまった。でも何回か仲間から「元気?」と連絡があり土曜は本当にお久しぶりのおしゃべりとなった。私が所属するさまざまな仲間集団の中にあって、私が最年少というきわめて稀な集団だけど、ホントにお気楽な仲間たちなのでずっとあっていなかったのがウソのよう。  たまには思いっきりテニスやりたいなあ。

栗おこわ

 昼からリトミック須坂教室での講師会があるため、久々竹風堂の栗おこわを買って食べた。内祝いとかに配ってばかりで、自分で食べたのはどのくらいぶりだろう。温かいのを買ってすぐ食べたせいもあって、1.5人前柳ごうり入りをぺろっと食べてしまった。  リトミックでの悩みがこのところたくさんあって、精神的に参っていたはずだけれど、自分の食欲に全然大丈夫なんだと改めて思った。何でも美味しく食べられるってやっぱりすごいや としみじみ。  講師会では、それぞれが自分の体験でうまくいかなかったことを話した。それが大事だと思う。どこかに似た体験があり、これから認定教室を持つ人に生かしていけることは、生かして欲しい。そしてまた似たような失敗を繰り返して自分のオリジナルを創っていく。一人になることといろいろな人に頼ることは別ではない そう思う。そのさじ加減なのだろうな。  それにしても栗おこわは美味しかった。