試験
長野第一支局の試験、無事終わりました。お疲れ様でした。受講生の入室する時の緊張した面持ち、退室の時の開放的な表情、本当に気持ちの全部がこちらに伝わってきました。 2週間前の試験対策の補講のときから、すごく努力したことがステップから伝わってきました。試験を受ける ということは言ってみればとても厳粛なことなのだと思いました。 全員が進級して次へと向かって欲しいです。
長野第一支局の試験、無事終わりました。お疲れ様でした。受講生の入室する時の緊張した面持ち、退室の時の開放的な表情、本当に気持ちの全部がこちらに伝わってきました。 2週間前の試験対策の補講のときから、すごく努力したことがステップから伝わってきました。試験を受ける ということは言ってみればとても厳粛なことなのだと思いました。 全員が進級して次へと向かって欲しいです。
東京大阪でのディプロマ試験はすでに終わりましたが、今月は各支局での進級試験が始まりました。山梨にお邪魔してきました。 甲府にJRで降り立ったのは初めてです。駅前公園に武田信玄公の像がどん!とありました。去年一年間は風林火山ツア-でにぎわったことでしょう。それにしても、甲府の暖かいこと。コ-トなしで十分。ブ-ツはいていかなくてほんとに良かったです。 少し前まで、試験を受ける側の気持ちしか分かりませんでした。受講生の緊張感、心臓の鼓動まで聞こえてきそうで、最初はこちらの心拍まで上がってしまうほどでした。 冷静な判断を瞬時にしていくことは、私にはとてもよい刺激になりました。長野でまた勉強していく課題も見つけられたような気がします。来週は長野第一支局の試験です。 受験される方、今週1週間、どうか時間を見つけて体を動かしてください。必ずその成果は本番に出てきます。
3月9日の試験前の対策講座でした。主に初級の皆さんと練習をしましたが、どの受講生もよく練習していると思いました。けしてお世辞ではなく。ステップが丁寧だし、前向きな姿勢が感じられ、なんだかうれしく思います。まだ時間はあります。今日できないことはまだまだ挽回できる。皆さんが、本来の力を本番で出せるよう応援しています!! 3月に入り各支局で試験が始まります。この緊張感がまた大きな一歩になっていくことでしょう。がんばれ~。
T先生Y先生 ディプロマ試験合格おめでとうございます。本当にうれしいです。来年またお二人に続いてたくさんの人に挑戦して欲しいです。 自分自身が勉強して行くことと、実際子どもたちとリトミックをやって行くことは2つの大きな車輪だと思っています。どちらも一緒に転がして始めて目指すリトミックが見えてくるのだと思います。毎年試験が近くなると、自分ももっと勉強しなくちゃ と思います。そういう意味では試験や研修はなくてはならないものだと思うし、子どもの発表の場も必要だと思っています。子どもの発表の場は私自身の浅さが全部わかってしまう場でもあるからです。だから継続して行くことが必要なのだと思います。 月末の講師会でたくさん可能性の中での今後のあり方を見つけていきたいです。
リトミック研究センタ-のディプロマBの試験が本日東京で行われたようです。長野からは初の2名受験。途中、何度かメ-ルをもらったT先生。終わったときに「吐きそうでした~!」というのがなんともリアルでした。 どんな試験もいやでしょうけど、リト研のこの試験、全部がそのとき勝負。紙に書くペ-パ-試験なら、時間の許す範囲で書き直しもできる。でも自分の番になったら待ったなし。とにかく体動かすしかない。心臓に毛はえた者勝ち。 私も試験のたび、こんな試験もう2度といやだと思いながら毎年受けてきました。あの極度の緊張感と試験に向かうひたむきさ みたいなものは、こんな大人になって味わえるものではありません。たくさんの人がこの先も挑戦していって欲しいです。 T先生Y先生 お疲れ様でした。絶対合格ですよ!
自分の来年度の方向を考えている。自分のできることを精一杯やるということ。 北長野教室はとにかくステップ1から5までの全クラスができるようにする。リトミックの指導者会員の先生方がリトミックをどんどんしていけるような環境を考えていく。大人(親)をリトミックに巻き込んでいく。そして新しい表現の場(たとえばコンサ-トなどで)とそのあり方を突きつめていきたい。 土曜日学校の先生方のある同好会を見学する機会を得た。今、そこで先生方が悩み苦しんでいることは私のリトミックとのかかわりそのものに重なり、また教育とはまったく違う会社で働いている人にとっては、会社における人間関係にもつながることであった。 「社会が変だ」「でも自分のすべきことが分からない」そういう大人がほとんどなのではないか。何とかするためにはまず小さい集団(同じ組織、会社、集団・・)での同好会のようなものからという考えは勿論大切である。でも、もしかしたら、分野を越えて人が集まるべき時もありなのでは、という心のそこから湧き上がってくる思いが今私の中に充満しつつある。
去年のクリスマス Aちゃんはサンタさんに赤ちゃんが欲しいってお願いしたら、願いがかないました!よかったね。きっとママ顔負けのお世話するんでしょうね。赤ちゃんとAちゃんとママの3人でリトミックにくる日が待ち遠しいです。 今年中学になるHちゃんはもうすぐ妹か弟ができます。こちらはほんもののママくらい面倒見てくれることでしょう。Hちゃんのお母さんは4人目の出産です!!(拍手) どちらの家族も、みんなの笑顔が見えてくるようです。ばあやのような心境で、これから生まれてくる生命を心待ちにしている今日この頃です。
S保育園のリトミックで、年長さんがどんどん難しい課題に挑戦していく。なかなかできないだろうと思っていると、担任の先生が、たくさんやってくださったり、また家でも練習してくる子がいたりで、急にステップアップして行く。驚きである。今まさに知的好奇心も旺盛で、「難しいから、まだできなくてもいいよ」などと言おうものなら、「もう一回やる!」と意気込んでくる。 今日、詩を読んだ。「これから詩を読みます。」そういったら「し ってなあに。」「死ぬこと?」「聞いたことない」口々に聞いてくる。「詩は始めてなんだね。じゃあきょうきいてみて、すぐ分からなくてもいいから ああ詩ってこんなかんじかあ。ってだんだん分かっていったらいいので、とにかくきいてみてね」と答えた。 詩がなに、とかどういうものであるかは、聞いてしまったらもう関係ない。詩の中にもうこどもたちは入り込んでしまうからだ。もうすぐ1年生のあの子たちから、リトミックを通してとんでもない発見や感動を私がもらっている。
あっちゃんあがつく という絵本をもとにしたカルタ。ステップ3とステップ4で少しずつやった。前回ステップ3のMちゃん、自分がとるはずのカ-ドを勢いよく違う子にとられてしまって、「今日は見ています」と言いにきた。悔しさと怖さといろんな気持ちが入り混じったのだろう。「いいよ。見ていてね。」と私。お母さんのおひざで、他の子がカルタを取るのをじっと見ていた。 変わってステップ4の3人は取る数に多い少ないがあるのもなんのその。なんだか集中してしかも和気藹々と、いがみ合いもなくやることができた。こどもたちの個性も勿論あるが、カルタを楽しむようになるまでになる課程をこんな風に見ることができるのは、本当にありがたい。だからお母さんたちにも、泣いてしまう課程も大切だと伝えられる。そして、カルタの得意不得意もそのまま受け入れる。他の子との比較でなく、前回の自分の子が次回どうなのかを見てもらいたい。必ず変わってくるから。勝負もありだけれど、もっともっとたくさんのことをカルタとりが教えてくれる。 今度カルタするときはMちゃん 一緒にできたらいいね。たった1枚でも勇気出して取れること願っています。
先日の中野でリトミックで、とっさにふったにもかかわらず、参加いただいたCちゃんのご両親を見て思った。もっと大人が参加できるリトミックできないかなあ ということ。子どもとある意味勝負するというか、大人もこんなにに真剣でやるんだと言うものを別々でなくお互いに見合いながらやるリトミック。 このことは先日兄のお仲間の一人がモンテッソ-リの教具を見て、同じものでなくて、考え方は一緒なんだけど大人は大人の教具ができるんじゃないか・・・と言い出したことにも関連する気がしますが。 真剣に表現する大人が回りにいたら子どもだって刺激をうける。世代や年代を別々にリトミックをやることのよさと、それぞれがかかわるよさがきっとある。そして一人一人が変わって行くときに大きなエネルギ-が生まれる。 上田薫著「人間のための教育」国土社 では、大人(教師)も子どもも変わることについて書かれている。教師を親に置き換えて読むと結構納得する。