リト研本部研修

 22日23日の両日リトミック研究センタ-本部にて、東日本地区の指導者研修が行われた。東日本で支局がないのは岩手秋田山形の3県だけとのこと。40数名の指導者講習となった。  初日は岩崎会長より、歩行について徹底的にチェックされた。必ず原点に返る。基本からしっかり確認する。そのことの重要性をひしひしと感じた。楽をしていては、身体は覚えていかない。できる限りの筋肉の緊張が、運動の意味を悟らせる。美しく歩くことがどんなに難しいかを知った。かつてボディテクニックで、身体のあらゆる部分を認識することを教えていただいたはずなのに、ステップにしっかりいかされていない。だからそうする意味もあいまいになってしまう。人の振り見てわが身を・・というが、どこを改善したらよくなるという分析ができないとなにもできない。  2日目は杉本先生による『模倣』をテ-マにした実習。はっきり先生はおっしゃった。先生からの一方的な指導はリトミックではない。双方向があるということ。主従の関係は常に入れ替わっているということ。子どもから学ぶ、子どもを受け入れる そのことがまたストンと胸に落ちた。  最後10人グル-プでつくった楽曲へ振り付けは、ひさびさ楽しかった。来年以降も続けるというこの研修、得るものはとても大きい。

ステップ1の醍醐味

 レッスンが始まったばかりのころ、意思疎通はお母さんを通してばかりだった一人一人が、急に日本語を話すようになって、びっくりする。今日S君は「かばさんだよ。みんな見ているの。笑ってるよ。」とピンクのクレヨンでお絵かきしながら、動物園に言った時のお話をしてくれた。Yちゃんはちいさなどんぐりをいっぱい描いて一緒にどんぐりころころを歌ってくれた。それぞれの子のしぐさに、なんともいえない甘酸っぱさをかんじて頬が緩んでしまう。来月は今年のまとめのお茶会しましょうね。お母さんたちともたくさんたくさん話したい!一緒にこの半年の成長を分かち合いたい! そう思いながら今日のレッスン終わり。

中野リトミック

 きてくださった皆さんありがとうございました。小学生のリトミックに来てくれたT君。いつもどちらかといえばいもうとのリトミックのあと、ついでにという感が強かった。でも今回、自分でいきたい!といってきてくれた。だけどあいにく他の小学生が都合でこれなくて、それでも一人でやって行くと力強く言ってくれた。  T君の発想の豊かさに、思いもかけないことをたくさんやることができた。「すごいね、いつもそんな楽しいこと考えてるの?」と問う私に「うちじゃあ そうじゃないよ。なんにもやることないからプレステとかやるんだよ。リトミックだからでしょ。」  どうしてなんだろう?ワクワクしながら絵本を見つめる目、ひとつの課題のヴァリエ-ションをどんどんやってくれる柔軟性、発想の奇抜さ・意外性・・・どれもこれも今この時期だからこそのものなのに、ほとんどの時間をゲ-ムに費やしてしまうという。  来月も待ってるよ T君。またたっぷり遊ぼう!ジョン=バ-ニンガムの絵本がいろんなところで重なった。

細川律子さんの朗読

 見たことのない岩手の山々が目の前にせまってくる。昔話なのになんだかどきどきしてきて、風景の中に自分がこっそり隠れているような気持ちで聞いた。    宮沢賢治の詩も、童話も透き通った風が通り過ぎていくようだった。賢治の体験から語ることば、体験を表現することば、すべてが、今の私につながってくる。律子さんの自然な方言が読んだだけでは分からなかったぬくもりを伝えてくれた。私の全身が、聞くことにどっぷりつかった。ただただ心地よい時間だった。

おつきゆきえさんの絵本の会

 「支え」・・・一言で支えといってもとらえかたも、支えになっているものもそれぞれが違う。だけど支えなしには生きていかれない。  『ひとりぼっちのかいじゅうといしのうさぎ』という本。安易に子どもに読み聞かせないで、とおつきさんはおっしゃいました。でもあのかいじゅうの生きている世界は、そっくり現代社会です。それを思うと、なんだかいても立ってもいられなくなてしまって。一人でも多くの人に読んで貰って、何を感じたか聞いてみたい。  同じ日ちいさいおうち書店からこどもたちに届いた本の中の、「マジョモリ」と「わたしのおじさん」を読んで、ああそうだ、子どもたちにはこういう世界がもっともっと必要なのだと思った。  それはみんな生きて行くうえでの畏れの念につながると思うのだ。  ネットと書店でまた大量の絵本を購入。

Aちゃんのお母さん

ステップ3のAちゃんのお母さん。若いとは思っていたけれど25歳なんて!しかもウチの娘たちと同じ中学。長女とは同じ高校。娘とのほうが断然歳が近い。やはり私はばあやの領域なのだと再認識。でも、このお母さんとはなんだかとてもウマが合う。というよりいまどきの若い母のイメ-ジでないのである。だから母ととことんときあってもらえるAちゃんは幸せだ。いまどきの若い母だってこんな素敵な人がちゃんといるのだ。それがうれしくなってしまう。彼女のお姉さんと同級生だったというSちゃんのお母さんといい、ああちゃんとつながってる を実感してしまった。出会いに感謝。

信頼

 先日テレビで教育に関して「責任」をテ-マにさまざまな討論をしている中で、子どもたちが語っている場面を見た。子どもたちは、親や先生、友だちなど知っている人、つまり間の前に実在している人は信用できないから、いざという時悩みとかはいえないというのだ。それより、ブログなどで悩みを打ち明けて、それに対して親身になって答えてくれる見知らぬ人のほうがよっぽど信用できると。さらに、結局は問題があったら自分で何とかするしかないといいきった。親友なんて作ったら、いつも一緒にいなきゃいけないから、めんどうだという子もいた。  人とかかわるということを知らない。信頼できる人との出会いがないということ、これが今の社会の現実なのだと思った。これは結局、親の世代もまた、信頼する人との出会いがなく生きている人たちが多いということになる。    その翌日、秋晴れの紅葉のなか上越教育大学附属小学校のポプラ祭に行った。子どもたちの表情の明るさがまぶしいくらいである。どの学年の歌も演奏も、生き生きといていて、こちらの気持ちもうきうきしてくる。この子たちは、どう答えるのだろう。やはりおとなを信じられないのだろうか・・。  「江谷先生が憧れ。だからピアノを習いたい」そういって友人の智恵子ちゃんの所にレッスンにいくようなった兄弟の話を聞いて、やっぱりと思った。この小学校の子たちは、いつも音楽を全身で表現する。ひとりひとりがしっかりうけとめられ、認められいる。そういう積み重ねの表れなのだ。  ポプラ祭の発表に先生の存在はまったくない。すべてが子どもたちにゆだねられ、みごとに運営されていた。子どもたちが何より楽しんでいた。音楽専科の江谷先生はというと、いつも満面の笑顔で精一杯の拍手をしていたのである。

誕生日

 今更誕生日なんて・・そう思いつつも思いがけないメ-ルがきたり、祝ってもらったりすると、うれしいものである。ステップ3のSちゃんと私はなんと一日違いの誕生日だった。 レッスンの最後にみんなで♪Happy Birthdayを歌った。  空がどこまでも青く気持ちのよい一日だった。私の生まれた日はどんな日だったんだろうな。

睡魔

 夜とにかく眠くて起きていられない。10時過ぎに布団に入る。でも悲しいかな、4時間睡眠が身体になじんでいて、はっと目を覚ますと2時だったりする。午前中に仕事が入っていないとき、「よし、寝よう!」と決意する。でも洗濯を干して、いろいろやっていると、やらなければいけないことがたくさんあることに気づく。  子どもたちに、少し先のこと見通してやりなさい なんて言っている私がいる。そりゃ無理ってもんだ。私が今のことにおわれ、かろうじてぎりぎりセ-フの生活しているんだから。  今日も次女は電車一本乗り遅れて、ぶつぶつ言いながらでていった。私は・・・やることはいっぱい、やりたいこともいっぱい。でもやっぱり寝たいのだ。

中野リトミック

 ご意見を伺いながら試行錯誤して行くつもりです。  次回11月17日(土)は    〇10:45~これまで3・4・5歳際のみなさんとしていましたが「2歳だからダメですか?」の声が寄せられました。厳密に区切っているわけではありません。とにかくご来場ください。体験、見学を通して考えましょう!    〇11:30~小学生と大人   *受講料は子ども一人1500円(付き添い保護者は無料、兄弟割引あり)