日曜日川田先生のお宅に出かけた。2月3月といかれなかったので、久しぶりだった。安曇野哲学会の水谷先生のご講演されたものを最初に読み合わせた。
読み合わせしながら、私たちが使わないことばの言い回し、漢字がたくさんあり、改めて哲学や宗教に関する書物が教育現場から抜け落ちていることを実感した。私が新卒のころあった職員研修、職員厚生という場は今はあったとしても形骸化しているらしい。
子どもとの毎日に行き詰まり途方にくれる自分になくてはならない場であったのに、なぜなくなってしまうのか?そしてどうして親との間に大きな溝があるのにほっておくのか。大人たちの意識改革はだれが声を大にしたらできるのか。たくさんのなぜに立ちすくむ思いだった。
川田先生は理想は夢物語ではない、実現するための目標であると力強くおっしゃった。70歳代後半とは思えないエネルギッシュな一言一言に、毎日打ちのめされへとへとになっていた先生方が、きっと力をもらっていたに違いない。目の前の子どもたちと勝負していくしかない それは私も同じこと。子どもたちが輝くのを見たいだけである。
信州教育に一生をささげた木村先生の日記がこの日私の心にずしんと響いた。
『真実に実在を愛する人にとっては 自己の死はなんでもない 大きな交響曲の一音が 私の一生であろう 発すべき時に発すべき音を発した時 そして消えた時 それで一切はいい』(木村先生42歳の日記)